snow2
『急で悪いが、明日車を寄越すから』
有無を言わさず、ミゲルは封筒を置き、用件だけを言って帰っていった。
執事が様子を伺うが、イザークは走って書庫に戻った。
「い…いまさら」
イザークはソファになだれ込んだ。
仰向けになって、両手で顔を抑える。
歯をくいしばらないと、涙がとめどなくあふれてきそうだ。
「自分のいて良い所は…どこ」
自分がどこに行くべきなのか、イザークにはわからなかった。
夕方。
アスランが帰宅して、執事からことの次第を聞く。
慌てて、地下の自室に行っても彼女はいなくて、まだ書庫にいるのだろうかと思い、そちらへと向かう。
大きな入り口の扉を開いた。
「イザーク?いるの」
返事はない。
入り口のテーブルには、植物図鑑が開かれたままになっている。
文房具も置きっぱなし、でも、ソファにも、椅子にも彼女は座っていない。
この書庫は広い。
しかし、彼女は几帳面だから、そのままでどこかに行ってしまうということはない。
アスランは、本棚の一列一列を歩いて、彼女を探した。
「ここに…いたの?」
書庫の端。
薄暗く、電気も照らさない隅に彼女は座り込んでいた。
アスランも、彼女に目線を合わせるために、しゃがむ。
「イザーク?」
アスランが優しく、うつむいているイザークの頭を撫でる。
その行為に驚いたのか、彼女は顔を上げた。
真っ赤に泣きはらした目は暗がりでもはっきりとわかるほどだった。
彼女は、泣いて、悩んで、一人でここにいたのだ。
それを知ると、無性に何故傍についていることができなかったのだと自分を責めたい気持ちになってしまう。
「私は…どこにいたらいい?」
見上げてくるイザーク。
「…」
アスランは困った。
言いたい。
ここにいて欲しいと。
ずっと自分の傍にいて欲しい。
でも、自分は父親と和解し、知ってしまった。
家族、血の絆というものを。
だから、確信を持って彼女に言えない。
肉親の愛情を知ってしまった自分。
どうしても思ってしまう。
イザークも、本当の親類の元にいた方がいいのではないかと。
アスランは何も言うことが出来ず、ただ黙ってイザークをそっと抱きしめた。
翌朝、ミゲルの車が迎えに来て、イザークは祖父母の家に向かっていった。
その様子を、アスランそしてキラとシンが見守った。
キラとシンにはアスランから話をした。
心配そうに車を見つめるアスラン。
「アスラン…」
シンを先に家に入れ、キラがアスランの肩を叩く。
「…昨日、イザークに聞かれた」
アスランがポツリと呟く。
「自分はどこにいればいいのか聞かれた…俺は何も言えなかった」
「…」
「俺は彼女から教えてもらった、家族の暖かさを…だから、彼女にも家族が必要なのかもしれない」
冷たい風が吹く中、アスランの髪がなびく。
キラも苦悩に歪む彼の顔を見て、的確なアドバイスを何もしてやれないことに苛立つ。
キラは判っていた。
アスランがイザークを好きだということを。
でも、今のこの状態が少なからず大学卒業までは続くと思っていたので、
このままでいいとおもっていた。
だが、こんなに早く。
彼女と別れなければならなくなるかもしれないとは。
「アスラン…風邪引くから、中に入ろう」
ミゲルの運転する車で、祖父母の家に向かう。
車中二人は一言も話をしなかった。
話題も見つからないし、イザークははなそうとする気力さえなかった。
市街地を抜けて、郊外へと車は入っていく。
大きな林を入る前に、何か門のような所を通る。
そして、そこからまた10分ほど走り、漸く車が止まった。
車が止まって、イザークは自分で外に出る。
今日のイザークの服装は、アスランやキラ、シンとクリスマスを祝うといったら、
いきなりパトリックが買ってきた白いファーの付いたコートと、ミルキーホワイトのロングドレス。
本当はクリスマスまでとっておきたかったのだが、それぐらいしか正装が無かったのでしょうがない。
冷たい風にスカートが揺れる。
イザークが目にしたのは、ザラ家よりも大きい屋敷きとそれを囲む、
木々、湖と呼べそうなほどの池だ。
結局ミゲルから渡された封筒は開けなかったので、事前情報が何も無い。
「っ!」
「イザーク…コッチだ」
ミゲルに言われて、慌てて彼の後を追っていく。
此処が父の生家なのか。
巨大な玄関でチャイムを鳴らすと、中から初老の紳士が出てきた。
「ミゲル様…イザークお嬢様、ようこそお越しくださいました…どうぞ」
中に通されると、目の前に大きな暖炉と二手に分かれ、二階に続く階段。
エントランスホールだけで、以前自分が住んでいた家の数倍はある。
「お嬢様、コートを…」
そう言われ、イザークは着ていたコートを控えていた女中に渡す。
「旦那様と奥様が奥の応接間でお待ちです…どうぞ」
紳士はどうやら執事のようで、二人を部屋へと案内する。
イザークは落ち着かなかった。
生まれて初めて会う祖父母。
父の顔すら良く覚えていないのに…。
応接間の前に来て、ドアが開けられる。
イザークは、まっすぐ前を見ることが出来なかった。
「良く来てくれたわ…」
うつむいていたイザークの元に、駆け寄る足音と柔らかい声。
顔を上げると、60代後半だろうか、品の良い女性。
自分と同じ、アイスブルーの瞳を持つ、きっと祖母。
イザークに近づき、彼女を抱きしめる。
「はじめまして…あなたのおばあちゃんよ…ずっと…逢いたかったわ」
涙ぐんだ目で見上げられ、イザークはどうしていいのかわからなくなる。
「あ…あの…」
「いいのよ、緊張しないで頂戴、さぁ…おじい様にも顔を見せてあげて」
祖母が振り返り、イザークを祖父の所へ連れて行く。
祖父は…足が不自由のようで、車椅子だった。
「ほら、あなた」
厳しそうなイメージの人。
イザークはおっかなびっくり頭を下げ、挨拶した。
「あ…イザークと申します」
「良く来たね…さぁ、座りなさい」
ふわっと笑った顔は記憶の中にある父とどことなく似ている感じがする。
厳しいイメージとは違う、優しい声。
祖父は自分で車椅子を押し、長いテーブルへと移動した。
それに、イザークそして祖母と傍に付いていたミゲルが続く。
「ずっと、逢おうと思ったのだがね、なかなか決心が付かなくて」
祖父が話し出した。
「息子とエザリアさんの結婚を反対して、息子は家を出て行った…私も頑固だった…アイツが死んだとはな…最近知った」
悲しそうにイザークを見つめる祖父。
祖母もハンカチで涙を拭っている。
本当に知らなかったようだ。
父の死を。
「私が事故で足を失い、漸く仕事も休めて、思いなおした時だった…エザリアさんも亡くなって、
イザーク。お前が一人になってしまったとミゲル君に聞いてね。私は後悔したよ…苦労したそうだね」
「あ…いえ、今お世話になっている方に良くしていただいて…」
「ザラ家にいると聞いたが…」
ザラと聞いただけで、胸が締め付けられる。
「はい…パトリックおじ様は母の幼馴染で、面倒を見ていただいております」
「そうか…でも、私は本当の肉親としてお前を引き取りたいと思っている。
亡き息子とエザリアさんのために、そしてお前のために…それが一番じゃないか?」
一番聞きたくない話題についに入った。
「え…あ…ぁの…」
自分にとってどの選択が正しいのかがさっぱりわからない。
肉親にあえて嬉しいとは思う。
父と母の結婚が望まれていなかったものだと知ったのはショックであったが、
今祖父母は反対したことを悔いて、自分を引き取りたいと思ってくれている。
「イザーク…私達のことなら何も気にしないでいいのよ?」
優しく気遣ってくれる祖母。
「イザーク…うちに来なさい。他人の家より、肉親の家のほうが居心地もいいだろう」
「…」
断れない。
此処まで言われ、断ることなんか出来ない。
でも…。
でも…。
アスラン…あなたも、私が行ったほうがいいと思う?
「では…24日に又」
ミゲルが祖父母と話をつけ、再度12月24日に訪れることになった。
ささやかなパーティを催すのだと、祖母は嬉しそうであった。
その笑顔は本物で、祖父も心なしか嬉しそうである。
「イザーク…行こうか」
ミゲルに促され、車に乗り込む。
祖父は出てくることが出来ないが、わざわざ、祖母が見送りに来てくれる。
イザークは車の窓を開けた。
「すみません…寒いのに」
「いいのよ、気にしないで頂戴。24日楽しみにしてるわね」
「…はぃ…おばあさま」
車がゆっくりと動き出し、祖母が手を振るので、イザークもそれに答える。
「じゃあ、24日に」
ザラ家の前で車を止めてもらい、中へは歩いて入る。
24日まで数日しかない。
言おうか…この気持ちを。
アスランが行くなと行ってくれれば、どこにも行かない。
でも、そんなこと言えない。
祖父も言っていた。
『肉親が一番』だと。
アスランもそう思ったから、きっと何も言わなかったのだ。
ここにいたい。
アスランとキラとシンと。
これが本心。
とぼとぼと歩いて、屋敷きの中に入ると執事が出迎える。
「おかえりなさいませ」
「…ただいま…帰りました…。上の部屋に行きます…しばらく一人にさせてください」
「お食事は?」
執事は朝食を全然食べていなかったイザークを見ているので心配している。
時間も昼を回っている。
だが、とても食べ物が口に入るような状態ではない。
「お腹すいてないので…大丈夫です。すみません」
エレベーターに乗りこみ、自分の部屋に行く。
鍵をかけて、着替えてベッドになだれ込む。
何度か、誰かが部屋のドアをノックして、イザークの様子を伺いに来たが、
イザークはそれに対して一度も返事をすることは無かった。
何も考えたくないのに、そればかりが頭を支配して、夜も眠れず、食欲もなく、むしろ気持ち悪い。
イザークはそれから二日間一回も部屋から出てこなかった。
アスランも彼女の意向を汲み取り、とても心配だったがあえて彼女に会うこともせず、
部屋にも行かなかった。
彼女が出した答えに同意しようとしていた。
本当は行かせたくなんかないのに。