月に隠るる紫衣の女
京の冬は寒い。
早くから雪は降り、この左大臣邸の周りも雪が積もっている。
永泉は白く化粧を施された大路をサクサクと音を立てて歩いていた。
牛車に乗っていけばいいと僧侶達に言われたが、今日は天気もいいし、寒いけれど外の空気が吸いたい。
そう言って、一人で神子の待つ左大臣邸へと向かっていた。
広い大路は人はまばら。
しかし、太陽の光が乱反射して、真っ白い雪がさらに光り輝いている。
彼女はこの景色を楽しみながら神子の元へ向かっていた。
今日は彼女は物忌みなので、外出はできない、しかし少しでも話し相手になればと思い立った。
天真や詩紋のように楽しい話は出来ないけれど、同じ女性としてなにか語り合えることが出来ればと思っていた。
「あぁ…こんな寒くても、ちゃんと芽を出しているんですね」
綺麗に雪かきがされた塀の一角。
薄い雪が少し盛り上がっている。
永泉がその盛り上がっている部分の雪をそっと払うと、下からは小さな芽。
何の花かは判らないが、しかし、確実に春の訪れを告げるもの。
「春は…すぐそこまで来ているのかもしれませんね」
「永泉様!」
「頼久…迎えに来てくださったのですか?」
小さな芽に見とれていたら、遠くから同じ八葉である源頼久が馬でかけってきた。
「先ほど使いの者が来まして…永泉様がこちらに向かっているというので」
馬から降りた頼久は息が切れている。よほど急いできたのだろう。
「すみません…景色を楽しみながら来たもので…」
そういうと、頼久はほっとした表情になった。
「それならいいのです、何かあったのかと思ったもので。さぁ、泰明殿やほかの八葉もそろっています」
永泉は頼久の馬に乗って、左大臣低へと向かった。
「永泉さん!」
「神子…遅れて申し訳ありません」
永泉の到着を皆が待ちわびていたようで、あかねが駆け寄る。
「寒かったでしょ?さっ…一緒に暖まりましょ?」
「はい……あっ…あの、泰明殿は?」
彼以外の八葉はそろっている。
頼久は来ていると言っていたのに、姿が見えない。
きょろきょろ見渡すが、この近くにはいないようだ。
「あ、藤姫ちゃんのところです。なんか、占いの話で…」
「そうですか…わたくし、泰明殿にもご挨拶を」
「そう?じゃあ、部屋でまってますから」
藤姫の所に永泉は小走りで向かっていった。
「…ご挨拶って…逢いたいって言ってくれればいいのに…何時までヒミツなのかしら」
丁度、藤姫の部屋から出てきた泰明と永泉は鉢合わせになった。
「泰明殿」
永泉は嬉しそうに彼に近づく。
泰明も心なし表情を緩める。
以前は、誰に対しても無表情であった泰明だが、同じ玄武の永泉に対しては心を開いていた。
女性である永泉を庇いながらの戦いは、彼に感情というものを芽生えさせていた。
「永泉着いたのか」
「もうよろしいのですか?」
「あぁ、結界の強化をたのまれたのだが、もう大丈夫だ」
泰明は手に持っていた数珠の首飾りを首にかけなおした。
「神子がお待ちですよ?温まりに行きましょ?」
小さく永泉が泰明の袖を引いた。
それにつられて、泰明は歩き出した。
「まだ雪は降りそうですが…春の足音がもうそこまで来ていますね」
「あぁ…鳥たちもそう言っているな」
そんなたわいない話をしながら、二人は神子の元へ行った。
物忌みの神子と八葉のみんなで他愛のない話を続け。
暮れる頃又明日来るということで、解散となった。
「永泉…送ろう」
「はい…すみません」
泰明がそっと声をかける。
すでに他の者達は牛車や左大臣家の中の自分の部屋へと戻っていった。
ゆっくりと歩き、時には話をする。そんなたわいない時間を大切にしながら。
泰明は永泉の寺まで彼女を送り届けた。
しかし。
それを影で見ているものがいた。
「セフル?セフル?」
「はい!!お館様」
暗い洞窟の中で、小さく光が灯る。
かすかな水音。
アクラムは水鏡を通じて八葉の行動を見ていた。
そろそろこちら側の行動も活発にしなければならない。
残された時間はもう少しなのだ。
「これをご覧?」
アクラムがセフルを水か鏡に近寄るように言う。
「…八葉?」
「行っておいで…そして…」
アクラムはセフルに指令を下すと、ふっと口元だけで笑った。
「頼久に聞いた。明日は私が迎えに行こう」
ゆっくり二人で大路を歩いた。
そして、寺の前で別れる前に泰明がそういう。
今朝、永泉が歩いて左大臣家に行ったことを聞いたのだろう。
「あっ…いえ…その」
「いい…迎えに来る。待っていろ」
言い方は厳しいが、声音は優しい。
「では・・・はい。お待ちしております」
ニコリと笑う永泉に泰明も満足げだった。
その様子をセフルは気配を消して、遠くの木の上から見ていた。
「アレが水の八葉…か」
セフルは小さく口笛を吹いて小さく術印を結び、その木を後にした。
木のガサッという音に泰明が反応する。
「!!?」
「どうなさいました?」
いきなり泰明が後ろを振り替えたので、永泉も思わずそちらの方を向く。
しかし、二人の見た方向には何も無い。
「…鳥か?」
大きな声と共に、永泉と泰明の間に小さな焔が走った。
「っ!!」
永泉はびっくりして、腰を抜かした。
「大丈夫か…この焔…鬼の気配がした…」
しかし、その後何かが襲ってくる気配はなし。
「永泉、私は神子の元へ行く、お前は寺の中にいろ!!」
「えっ…泰明殿」
泰明は風のようにその場を去ってしまった。
「…気配がかすかにこの道に残っている…やはりあの鬼…神子の下へ」
泰明は大急ぎで左大臣家に戻った。
寝静まっていたが、頼久や天真を起こし、事の次第を説明して、警備に付かせた。
「あの…」
「寝ていろ、心配ない」
「…でも…」
泰明があかねの部屋の前で警護に当たる。
「あんずるな、もうすぐ友雅たちも来る…静かにしていろ」
泰明はあかねを部屋に戻すと、周りに意識を集中させた。
夜風がガサガサと鳴る以外には何もない。
この屋敷に来る途中で、追っていた鬼の気配が消えた。
再度強めの結界を張りなおしたので、鬼が触れればすぐにわかる。
「…思い過ごしだったか」
泰明達は小一時間そこでじっとしていたが特に何の変化も無かった。
そろそろ大丈夫だろうと思われたとき、何者かが、結界に触れる気配がした。
「天真、頼久!!誰かいる」
泰明の神妙な声にその場にいた全員が意識を集中させた。
ガサガサという音と共に、鬼が現れたと思われた。
音のするほうでにみなではしっていく。
「覚悟!!」
頼久が真剣を抜いて、音のするほうへと向けた時、そこから出てきたのはびっくりしてしりもちをついていた永泉だった。
「頼久!!やめろ!」
泰明の声で、頼久が剣をとめた。
「す…すみません、頼久」
走ってきたのだろう、永泉は息を切らせていた。
「永泉様…良かった…お怪我はありませんでしたか?」
「えぇ…泰明殿に寺にいるように言われたのですが、どうしても気になってしまって」
安心したように頼久が刀をおろした。
「どうしたんですか!!凄い声が…」
バタバタとあかねが声のしたほうに駆けつけた。
「神子…すみません…お騒がせを」
「永泉さん!!大丈夫ですか!!」
しりもちをついてしまっている永泉を、あかねが手を差し伸べて起こす。
「もー…仲間を間違えるなんて!!」
「すみません…神子様」
「大丈夫ですからぁ・・・」
あまりに大事になりすぎてしまったようで、頼久があかねに怒られているの永泉がおろおろと仲介する。
「はぁ…まぁ、よかったんじゃねーの」
「あぁ…これで心置きなく帰れるな」
怒られている頼久を天真と泰明が見守りつつも、少しやつれた顔。
さすがに夜も遅いので、天真は欠伸が耐えない。
「はぁー…もう帰ろう。頼久!!帰るぞ!」
「あぁ。それでは、すみませんでした、永泉様」
天真の声で、さすがに頼久が顔を上げた。
「もういいのですよ、さぁ、神子もお部屋に戻られて。私が部屋まで送りましょう?」
「えぇ?…でも」
部屋まで送ろうと言っている永泉の後ろにいる泰明をあかねがチラッと見る。
頼久が部屋に上がることはまずない。
一人で部屋に戻すのは少々心配である。
「私はここで待っている」
「えぇ、では…さぁ、神子?寒いので早く中へ」
あかねの背中を押して、永泉は部屋へと彼女送る。
「今日はお騒がせをしてしまいましたね…ゆっくりお休みくださいね」
廊下を歩きながら、永泉がそういう。
「うん、もー眠くって」
大きく欠伸をするあかねを永泉が優しく見守る。
「それでは、私はここで…っ?」
不意に気配を感じて、永泉が歩いてきた廊下を振り返った。
「永泉さん?」
「…なにか…います!!!」
あかねを背後によせて、廊下に向き直った。
「神子…」
「どうしたの?なにか…」
あかねにはそれほど強い霊感があるわけではない。
「鬼…です!!」
「なんだ…気がついちゃったの?」
廊下の上にフラッと空間を裂いて現れたのは、セフルだった。
「セフル!!」
「神子…下がっていてください!」
出来るだけ神子を守れるようにと、彼女を後ろに下げる。
「ふっ…僕はね、お前で良いんだよ!」
「なにを!」
「永泉さん!!」
セフルが手を振り上げ、その指に焔が灯る。
「神子、逃げて!!」
「永泉さんっ」
焔が永泉を包み、そしてあかねの目の前で焔に包まれる。
永泉の法衣が燃えている。
「さようなら、龍神の神子。あはははは!!」
ちりちりという火の粉を残して、あかねの目の前でセフルと永泉が消えた。
廊下から、外を見る。
真っ赤な月だけしかもうそこには無かった。
「ア…ァ…だ…誰かぁぁぁ!!!」
あかねの悲痛な叫びが屋敷に響いた。
「良くやった、セフル」
様子を一通り見ていたアクラムが漸く水鏡の前から動いた。
「さぁ…神子、どう動く?」
裾を翻して、アクラムが洞窟の中を歩いた。
「水の八葉…法親王…永泉」
セフルは永泉を連れてきて、ある部屋へと運んでいた。
大きな石台の上には、すす汚れてしまった法衣がだらっと石台の外へたれている。
顔には小さな焼けど。
真っ白い肌に赤く付くそれは小さくても目立つ。
「大きな切り札に…なってくれるか?」
アクラムがそっとその頬を撫でた。
「雨縛気!!!」
「っ」
「ほぉ…?」
「っ…よく…かわしましたね?」
寝ているとばかり思われた永泉からの不意をついた攻撃に、アクラムが一瞬ひるんだ。
手負いの永泉は、何とかして石台から降りて、アクラムと対峙した。
狭い洞窟の部屋の中、何とかして永泉は壁際へと逃げる。
しかし、アクラムがジリジリと近寄る。
「さすがは八葉…神子を守る男ということか…もう、容赦はせん」
「っ」
ゆっくりとアクラムの手が永泉の首へと向かう。
「ぁぐっ」
「その命と…札のありか…さぁ、どちらをとるか?」
ゆっくりと永泉の首がしめられて、だんだんと永泉の体が中に浮いていく。
「誰が…言う…もの…」
「往生際が悪い…」
さらに強く締められて、再び石台へと叩きつけられた。
全身を強打して、永泉の目にはうっすらと涙が浮かぶ。
「あぅ…」
「水の八葉…弱いヤツめ…一思いに…?お前」
不意にアクラムの手が永泉の胸元に触れた。
男であると思われたのに・・・。
たしかに、男としては線が細すぎる。
しかし、八葉に女…。
「貴様…女?」
「っ…だから、どうしたというのですか。はやく、殺しなさい」
押さえつける腕を何とか退かそうとしても、アクラムの体格と永泉の怪我の影響でどうにも出来ない。
「一思いに殺すのも、勿体無い。最後に…」
「ひっ!」
アクラムの手が、永泉の焼けこけた紫色の法衣にかかる。
「良い思いをさせて、殺してやろう…」
「っ…いやっ…やめなさい!!」
もう一度術を使おうとして、手に持ったままだった数珠をかざす。
「こんなもの…こざかしい」
アクラムが数珠に触れる。
その時、アクラムが触れた数珠が反応した。
パチパチっと触れ合ったところから火花が散っている。
「何?!」
「永泉!!!」
「永泉様!!」
数珠を媒体として、頼久と泰明が現れた。
「貴様ら…どこから」
二人が現れた衝撃でアクラムが吹っ飛ぶ。
「永泉様…」
頼久が永泉を庇うように抱きかかえる。
「残念だったな、鬼。二人とも引くぞ!」
アクラムは何も出来ず、突然現れた、頼久と泰明によって永泉は連れ戻された。
「っ…覚えていろ」
「女とわかったら…狙うのは…永泉だけだ」
永泉が連れ去られた後、あかねに呼び戻され、泰明は永泉の気配を追った。
しかし、気配はすぐに途切れた。
泰明はそういたときのために永泉の数珠に術を施しておいた。
位置を特定できるようにするためのものだ。
それを自分の術でさぐり、天狗の力を借りて、アクラムの所に飛んだ。
自分だけの力では、鬼の結界に入るのは容易ではない。
しかたなしに、泰明は天狗に力を借りたのだ。
誰を助けるのかとからかわれたが、彼らは力を貸してくれた。
「永泉さん!!!」
空間を裂いて現れた3人をあかねが出迎える。
「神子…心配をおかけしました」
「っ…よか…よかっ…た…わたし…」
ボロボロと泣き出したあかねに、頼久に抱きかかえられたままの永泉が声をかける。
「神子様も、もう遅いですので、お休み下さい。永泉様も…侍女が部屋を用意しておりますので」
「頼久…代わろう」
抱きかかえられたままの永泉を泰明がそのまま受け取る。
「手当てもしなければ…」
泰明に連れられて、永泉は左大臣家の中にはいっていった。
あかねもそれに続き自分の部屋へと戻り、頼久も自分の持ち場へと帰っていった。
屋敷に入り、侍女に案内され、泰明は部屋へと入る。
そこにはすでに布団もひかれ、着物などすべてがそろっていた。
薬箱も用意されていたので、まず泰明は侍女に頼み、永泉を湯浴みへと連れて行かせた。
歩けないほどの怪我でもなく、湯浴みをすませてすぐに永泉は戻ってきた。
泰明は布団の上に永泉を座らせて、怪我をしている場所に薬を塗りこんでいった。
「すまなかった…私がもう少し気をつけていれば…」
「助けに来てくださいました…それだけで十分です」
薬を塗り終えて、ゆっくりと永泉が泰明に寄り添う。
「今宵はこのままでも?」
「あぁ…共に寝よう」
折角二つ引かれた布団であったが、片方に二人で眠った。
泰明は潰さないように出来るだけ優しく永泉を抱きしめた。
今宵は満月。
しかし、天女は月に帰らずに、自分の胸の中にいる。
END