doctor


「あ、イザーク良いところで。はい、これこの間の結果ね」
内科医で大学時代からの同僚の医師、キラにイザークは先週受けた健康診断の結果を廊下ですれ違いざまに手渡された。
「あぁ…ありがとう」
外来診察が始まる、ほんの5分前の出来事。
イザークは、とりあえずその紙を受け取り、自分の診察室へと戻る。
今日は、週に2回の自分の外来診察の日である。
午後には、病棟の回診もあって、本当に忙しい日だ。
なので、イザークはその結果をすぐに見ることはなく、自分の白衣のポケットに四つ折にしていれたまま、
病棟回診が終わるまで忘れてしまっていた。

午後4時過ぎにイザークはようやく、病棟の回診を終えて、ステーションに戻った。
外科医であるイザークは、この総合病院でも美人と噂され、彼女に見てもらいたいという患者がとても多い。
今現在の入院者数自体はそれほど多くないが、外来がものすごい数のため、たとえ病棟回診の件数が少なくても、
終わるのはだいぶ遅い時間になる。
本来なら、今日は朝8時からの勤務であるので、5時であがる予定なのだが、
これからまた外科全体でのミーティングがあるので、
今日も定時に上がれそうな気配は無いに等しい。
最近自分でも疲れているなとイザークは実感していた。
「ふぁ」
思わずもれてしまった、あくびをかみ殺そうとしても、無理で。
イザークは、どさっと自分のデスクに付いた。
「お疲れ」
先に回診を済ませていた、先輩外科医のミゲルがわざわざコーヒーを持ってきてくれる。
「すいません」
「今月、働きすぎ。お前オペの回数俺より多かっただろ?」
ミゲルもイザークの隣にある自分のデスクに座って、コーヒーを飲みつつ記録を読む。
まだ新米に近いイザークには比較的簡単なオペが回ってくる。
今月はその簡単なオペの回数が多かったのだ。
「いえ、難しいものは無かったので…」
「でもなぁ…倒れるなよ?ただでさえ、外科の医者少ないんだから」
「はい…そうだ、今日健康診断の結果が出たんですよ」
すっかり忘れていた、白衣のポケットに入った紙切れ。
イザークはそれを取り出して、眺める。
「…あれ?」
「ん…あー引っかかったな」
血液検査で、白血球が平均より多い。
でも、多少の疲れや、風邪などでも数が多くなったりするので、今回の結果だけで判断することはできない。
最近疲れがたまっていたし、きっとそのせいかも知れない。
「でも、たいしたこと無いでしょう、これぐらいなら。ちょっと多いぐらいです」
「そうか?でも、これ受けたの先月だろ?そんなに先月忙しかったか?」
「…そう言われると」
あまり忙しくなかったような気がする。
「これやったのキラか…俺が内線で聞いてやるし、もう一回検査受けろ」
「え、あの」
大丈夫ですという前に、ミゲルが自分の机の電話で内科につないだ。



「外科のアイマンです。はい、ヤマト医師を…帰った?じゃあ、ザラ医師で…はい、お願いします」
会話の内容から、キラはどうやら帰ってしまっていないらしい。
代わりに、イザークとキラの同期のアスラン・ザラが呼び出された。
『はい、代わりました』
「お疲れさん、ちょっと健康診断の結果と精密検査の依頼の話なんだが…」
なんだか、ことが大げさになってきているので、イザークが横から口を出す。
「ちょっと、大丈夫です。このくらいなら!!しかも、何でアスランに!!」
「うるさい!病気にでもなられたら、こっちが困る」
ちょっと待って、と受話器の話口を手で塞いで、ミゲルがイザークに怒る。
言っていることは、あたっているので、イザークは黙るしかなかった。
そして、仕方が無いので、イザークは席をはずし、会議の資料を取りに資料室まで出かけた。

『で、何ですか?俺、今日は忙しいんですけど』
ミゲルが電話に戻ると、ふてくされているようなアスランの声が耳に入った。
「あー、なにそんな不機嫌なの?イザークのことだけど?」
『ッ、早く言ってください。で、彼女がどうかしたんですか』
イザークのことになると、さすがにアスランも気になる。
なにせ、自分の恋人なのだから。
「なに、その変わり様。いいけど、イザーク、健康診断引っかかったんだ。
で、用紙見たら、去年受けてないみたいでさ。今回血液検査だけだったけど、一応と思ってな」
『あーそうだったんですか。わかりました、じゃあ、こっちの都合付き次第、彼女に連絡入れます』
「よろしく」
はぁ、とひと呼吸おいてミゲルが電話を切る。
この職業は、時間も不規則だ。
医者の不養生という言葉もあるくらい、健康管理は以外と皆していない。
若いからといって、何も無いとは限らない。
「さて…俺も、会議用の資料を探しに行くかな」
飲みかけのコーヒーをぐいっと流し込んで、ミゲルはイザークの後を追った。

アスランも何かと忙しい。
今日は、外来の診察の後、イザークと同じく病棟の回診。
内科医は病棟に常時3人はいるが、今日に限ってキラが出張で帰ってしまったので、
回診する患者の量が増えた。
また、普段見ていない患者がいるとそのカルテを洗わなければならないので、時間がかかる。
これから、まだ見ていない患者の回診が何件か残っている。
忙しいのだが、また公私混同はいけないとわかっているのだが、イザークが心配になってしまった。
なので、ミゲルからの電話の後、カレンダーを見て検査日を決める。
「ええと、暇な日は・・・」
曜日を確認すると、どうやら明後日の午後なら都合がいい。
彼女のスケジュールを思い出すと、そういえば久しぶりの休みだといっていた気がする。
手早く自分の手帳に書き込むと、折り返し外科に電話をする。
すると、ミゲルもイザークもいないようで、結局ナースに伝言を頼んだ。



イザークは、待合室で待っていた。
患者として、医者の診察を受けるのは久しぶりだ。
めったに風邪も引かなければ、怪我もしない。
なので、患者として待つというのは、意外と緊張するものだと知る。
患者の気持ちを知るためには、いい経験なのかも知れない。
一昨日、ミゲルと共に資料室からステーションに帰るとナースから、アスランからの伝言を聞いた。
オフに精密検査とは以外と面倒だったが、向こうの都合が優先なので仕方が無い。
やりたいことは午前中に済ませて、イザークは午後、検査を受けることになった。
午後は外来が無いのだが、午前中の診察が終わらない科が多いので、待合室には患者が多くいる。
「ジュールさん、診察室10番にどうぞ??」
ナレーションが待合室に鳴り、イザークが呼ばれた。
バックと上着を抱えて、イザークはアスランの診察室に入っていった。

「お疲れ」
コンピューターの置かれたデスクに座る、アスランがようこそといった感じで出迎える。
「あぁ…今日は、よろしく頼む」
実は、アスランの診察を受けるのは今日が初めてなので、意外とイザークは緊張していた。
荷物をかごの中に入れて、丸椅子に座る。
「先輩。お疲れ様です」
「あぁ、シンか、元気そうだな」
この診察室に待機しているナースは、キラの恋人のシンだった。
イザークの大学時代のサークルの後輩でもある。
知っている人間で、イザークはちょっと安心した。
「じゃあ、シン。血液検査用のキットと心電図計と血圧計。一式用意して」
「はい」
アスランに指示されて、シンが機材を取りに行くために、診察室から出て行く。
この診察室は、個室で医者のデスクとカーテンの付いた簡易ベッド。
それから、ナースと医者用の裏口と、患者用の出入り口がある。
「結果見たけど、白血球の数だけだよね。そんなに気にすること無いけど、
去年健康診断受けて無いんだって?」
カルテを書きながら、アスランが言う。
「あぁ、ちょうど出張とオペが重なって…受けてない」
「今、自分の体で気になるところある?」
「特に、無いかな」
アスランのボールペンを走らせる音だけが聞こえる。
カルテを覗くと、医者としては珍しくきれいなドイツ語が書かれている。
「じゃあ、診察しようか」
アスランの手がイザークの頬に触れて、まずは瞳孔を確認する。
その後、顎を触ってリンパ腺の確認。
「はい、口あけて」
ライトで口腔内を確認する。
「…イザ、虫歯発見」
「あぇっ?」
口を押さえられているので、発する言葉は変になっている。
「右下の、奥から2番目、大きいよ」
「…それが、原因か?」
虫歯でも、白血球数が変わることがある。
別に、痛みは無いのだが。
「まぁ、きちんと調べてみないとわからないよ。じゃあ、次心音聞くから、胸開けて」
戸惑いつつ、イザークが、上着をめくった。



聴診器を当てられて、その冷たさに思わずびくっとする。
「イザ、緊張してるの?心臓すごい早い」
ふふっと笑って、アスランがイザークの椅子を回し、今度は背中に聴診器を当てる。
「うるさい…大丈夫だ」
自分でも、心拍数が早いのはわかる。
イザークは、微妙に気恥ずかしかったのだ。
こういうところで、アスランにたとえ診察だとしても自分の肌をさらすとは思っていなかった。
「はい、もういいよ、こういうのを本当のお医者さんごっこって言うのかなぁ」
やっと終わったと思ったところで、アスランがぼっそっと言う。
しかも、とんでもないことを。
「お…お前、メスで切り裂かれたいか?」
「…遠慮しておきます。でも、こうやって触れるのも、見るのも久しぶりなんだ、
イザークは本当に働きすぎ」
会えなくて寂しいんだよとアスランが言うと、さすがにイザークもそう思えてくる。
「ごめん。でも、人手不足だし…仕方ないんだけど」
「ミゲル先輩も心配してたし、一回理事に掛け合ってみようか、外科医の数は少ないと俺も思うから」
実はアスランの父親がこの総合病院の院長兼理事長なのだ。
そういうことで、家族の権力を使うのもどうかと思うが、実際本当に外科は忙しい。
急性期医療なので、人の出入りは多いし、救急外来も多い。
それを、今の人数でカバーするのは本当に辛いところだった。
「頼む。あと、二人ぐらい」
「了解」

「先生、CT空いてるって連絡が」
丁度診察が終わる頃、シンが帰ってきた。
ガラガラと機材を押して裏口から入ってきたシンがアスランに連絡する。
「そっか、ラスティーに連絡入れといたんだけど、早かったね。
じゃあ、イザークは先にCTを受けてきて、その間に機材セットしておくから」
なんだか大事で、CTまで受けることになっていたらしい。
「わかった」
「じゃあ、このカルテもって…何番だって?」
「あ、3番です。ラスティー先生が3番室で待ってますので」
シンが心電図系の配線をチャックしながら、CT室の部屋番号をイザークに告げる。
「荷物は置いてっていいよ、どうせ今日は君しか診ないし」
イザークは荷物を置いて、診察室を後にした。

「待ってたよ〜」
検査技師のラスティーが待合の廊下に出てイザークを待っていた。
部屋に入り、器具をつけられて、トンネルのような機械の中にゆっくりと入っていく。
これで、全身の輪切りの映像を撮影することが出来るのだ。
数十分で検査は終わり、その場で写真を貰う。
その写真を持って、イザークは再度アスランの元に戻った。



「あれ、シンは?」
診察室に戻るとシンがいない。
CTの写真を渡しながら、イザークがアスランに尋ねた。
「看護部会だって、大丈夫後は俺がやるから・・・」
「え?」
後残っているのは、採血と心電図。
アスランが血液検査用の採血をするのだろうか。
イザークが不安そうな顔をして、椅子に座った。
「失礼だな、意外と巧いよ俺」
うきうきしながら、腕を置く台を引き寄せる。
「はい、腕見せて」
イザークは仕方なくいわれるがまま、両腕を差し出す。
アスランが肘の関節を親指で押しながら採血しやすい方を選ぶ。
「右かな、じゃあ縛るよ。握ったり開いたりして」
二の腕をチューブでアスランが縛る。
グーパーをイザークがしている間にアスランが張りと試験官を取り出す。
どうやら3本取るようだ。
「はい、チクッとするよ」
なんだかすごい嬉しそうだ。
外科の方が向いてるんじゃないかとイザークはおもわず思ってしまった。

採血が終わると、小さなバンドエードを貼られた。
「一発だったでしょ?」
「何度もやられて、たまるか。しかし…自分で言うだけあって巧いかも」
少々関心したようにイザークが呟く。
「言っただろ?」
試薬と血が良く混ざるように、アスランが試験官を振りながら答えた。
アスランは、試験官を三本袋に入れて、箱の中に入れる。
この後は、心電図を測る。
彼は、計測器を再度確認して、主電源を入れた。

「じゃ、心電図測ろうか。ベッドに横になって…」
閉まっていた簡易ベッドのカーテンをシャッっと開けて、アスランはイザークを促した。
イザークは靴と靴下を脱いでベッドに上がる。
「上着まくって、ブラのフロントホック外すよ」
その言葉に、少々赤くなりながらもイザークは頷いて答えた。



アスランは、ゴム手袋をして心電図の器具が肌に付きやすいように、ゼリーをイザークの肌に塗っていく。
冷たいゼリーが触れるたびに、イザークはビクビクと反応した。
「冷たい?」
「ちょっと…」
胸のあと、足首にもそれを塗って、その後に吸盤のついた器具をイザークの胸と足首に取り付ける。
腕に脈拍と血圧を測る器具もつけて、再度全体の確認をアスランがする。
確認し終えたら、大き目のタオルをイザークの胸にかけた。

「じゃあ、計測始めるからゆっくり深呼吸して、10分待って」
アスランはそういうとベッドのカーテンを閉めて診察室の外へ出て行ってしまった。
「はぁ…」
正直ずっといられると困るので、出て行ってくれてよかったとイザークは思う。
彼がいると、なぜか緊張して変な検査結果が出そうだった。
人がいなくなって静かな診察室。
イザークは、目を閉じてゆっくりと呼吸を落ち着かせた。
そして、そのまま浅い眠りに落ちていった。

カタッという音がして、イザークは目が覚めた。
どうやら、少し眠っていたらしい。
「もう、終わったよ」
アスランがカーテンを開けて入ってくる。
「寝てた・・・のか」
「疲れてるんでしょ?じゃあ、器具外して、ゼリー拭くよ」
アスランは先に器具を外して、その後イザークの身体を暖かいタオルで拭いていった。

「じゃあ、結果は2週間後。暇な時でいいから、取りに来て」
検査用紙にすべて記入してあるか確認して、大きな封筒にCTと心電図の用紙。
そして採血を入れる。
「あぁ、今日はありがとう、忙しいのに」
「いや、じゃあお疲れ。今日は…俺ももう帰るから、ちょっと裏で待ってて。一緒に帰ろ?」
アスランが腕時計を確認して、机の上のPCの中のスケジュールを見る。
今日は元々午前のみの仕事だったので、この後予定は無い。
久しぶりに、イザークと一緒に帰りたい。
「わかった。じゃあ、後で」
イザークは荷物を持って、診察室を出た。
結構な時間が経っていたらしく、外来には人がほとんどいない。
イザークは、外来を通って、医師用の裏口へと向かった。
途中、これから休憩なのか、ミゲルとであう。
「お疲れ、いい所であった。お前、明日と明後日休みな」
いきなり言われて、イザークは驚いた。



「はぁ?明日と明後日・・・急な話ですね」
「あぁ、何でも?姉妹病院から外科医が2人来るんだと。さっき、院長が直々に来てさ。んで、お前ご指名で休み」
さっき、心電図を測っているときにアスランがいなくなったのは、このためだったのか・・・。
にしても、なんとも行動が早い。
「俺もさ、お前の後休めるから…いきなりだけど、良かったよ。
じゃあ、それだけ。お疲れさん」
「お待たせ」
丁度ミゲルが病棟に戻ろうとしたときに、後ろからカバンを持ったアスランが来る。
「よお、アスラン。今日はお疲れ」
「いえ」
「じゃあ、俺戻るから、あ、そうそうアスラン。いくらイザークが明日と明後日休みだからって
疲れてるんだから、頑張るんじゃないぞ〜」
ポンポンとアスランの肩を叩き、さりげなく意味深な言葉をおいて、ミゲルが去って行った。
「何言ってんだあの人は…まったく、帰るぞアスラン」
「…俺としては頑張りたいけど?」
アスランまで、イザークをからかうようなことを言ってくる。
「お前まで」
「だって、目の前にイザークの胸があって・・・」
「ばか、そんなことをこんな所で言うな!!」
いきなり変なことを言い出したので、イザークがアスランの口を手で押さえる。
そして当たりを見渡して、人がいないことを確認し、手を離した。
「ごめん、でも二日間も休みなんだから・・・いいでしょ?」
ボソッと耳元で囁かれたものだから、イザークは何もいえなくなる。
「さて、ドライブして夕飯食べて、久しぶりにデートしようね」
病院内だということもすっかり忘れて、アスランはイザークの手を握り、
裏口から車の置いてある駐車場へと向かった。

お医者さんは色々忙しいんです。


アスランが、頑張ったか頑張れなかったかは、別の話…



  
END