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狼は野蛮な存在。
出合ったら、撃ち殺せ。
関わることは、禁忌。
イザーク、判ったか?

母、ミゲルから耳がたこになるほど聞かされた言葉。
自分達を殺す存在であり、最高の食料源としか見ていない彼ら。
イザークは彼らを一度も見たことが無かった。
ヤギの住む平和な土地は、強力な防護壁に守られている。
しかし、そこをいったん出てしまえば、何が起きても不思議ではない世界が広がっている。
その世界にイザークは少なからず、興味を抱いていた。
幼い子供が抱く冒険心。
それと同じもの。

「俺、でかけてくるから、お前ら大人しくしてろよ?」
孤児院の園長であり、皆の母親役のミゲルはある集まりで今日は出かけなければならない。
ミゲルは名のある『狩人』の称号を持っていて、今日は、その『狩人』の集まりがあるのだ。

彼は7人の子供を院で育てていた。
此処の子供達は、両親を狼に殺されたり、そして両親から捨てられたりした子供達だ。
7人のうち、6人は両親を狼に殺されている。
まだ、防護壁が出来る前の話しだ。
一番年上子供達。
ディアッカとアスランは防護壁が出来る1年前に両親を殺された。
ミゲルはたまたま路頭に迷う二人を見つけ、自分の家につれて帰ってきた。
それが孤児院の始まりだ。
その下の、ラスティーとルナマリアは建設完了6ヶ月前。
そして、レイとシンの兄妹は建設完了1ヶ月前。
皆、ミゲルが自分の家に連れて帰ってきた。

彼らは、狼を憎み、忌み嫌う。
防護壁が出来て、18年。
それぞれ、大人になり、年数がたてど傷が癒えるとこは無い。
「イザーク、特にオマエ…一人でどこにも行くなよ」
「うん」
出かけ際に、ミゲルは必ずイザークにそう言う。
一番年下のイザークだけは、他の兄弟達と違っていた。
彼女は両親の顔を知らない。
生まれてすぐ、ミゲルの孤児院の前に捨てられていた。
彼女は、防護壁が出来て1年経って孤児院にやってきた。
他の兄弟たちと2つ以上年が離れており、皆からとても可愛がられ育った。
しかし、恐怖を知らない彼女は、突拍子も無いことを言い出す。
『外の世界を見たい』
『外に出たい』
兄弟たちは、いつも彼女を見張っていた。
しかし、見張りがあればあるほど、思いは強くなっていった。

「じゃあ、遅くなるようだった、ルナとシン!夕飯よろしくな?」
ミゲルがそういうと二人の姉は「は〜い」と返事をした。



兄、ディアッカとアスランはすでに働いており、今日はまだ仕事から帰っていない。
レイとラスティーは家の自分の部屋にいる。
そして、姉のルナマリアとシンは、イザークと一緒にリビングにいた。
ミゲルが出かけて大分立つが、帰ってくる気配が無い。
会合が長引いているようだ。
時計を見ると、すでに午後五時を過ぎている。
そろそろ、夕飯に取り掛からなくてはならない時間帯だ。
「シン、私買い物に行ってくるから」
冷蔵庫をのぞいていたルナマリアがシンに声をかける。
どうやら、食材が何も無いらしい。
「うん、なんかしとくことある?」
「ジャガイモを倉庫から取ってきて、洗って、皮剥いておいて。後、にんじんも」
バタバタと買い物カゴを片手にルナマリアがシンにそう告げて家から出て行く。
「よし、取りに行くかなぁ」
シンも家の裏の倉庫へと行ってしまった。

イザークが、一人になることは無い。
必ず、姉のどちらか、またはレイかラスティーがそばにいる。
こんなチャンスはめったにない。
外に出たい。
いや、見るだけでもいい。
あの、高い防護壁の外の世界を一度でいいから見たい。

イザークは、そっと読んでいた本をおいて、玄関を開けた。
一人で出歩いたことは、一度も無い。
でも、大丈夫。
姉や兄たちと何度か防護壁の展望台の前を通ったことがある。
イザークは靴を履くと一目散に家を飛び出した。



路地を抜けて、広場に出ると、防護壁に向かっていくつもの階段が伸びている。
木の多い茂った場所もあれば、何も無いただ広い場所もある。
イザークは、木の多い広場へ行くための階段を選んだ。

防護壁の高さは30メートル。
そして、壁の厚みは10メートル以上ある。
一番上は、広場のようになっているが、好んで近づくものはいない。
この世界には、このような防護壁が無数にあるのだと聞いた。
勿論危険を侵してまで、外に出て行こうとする奇特なヤギは少ない。
イザークは、ゆっくりと、だが確実に階段を上った。
「はぁ…結構、疲れる」
もう少し。
後ちょっとで、外の世界を見られる。
胸が躍る。
イザークは、力を振り絞って階段を駆け上った。

たどり着いた先に見えたのは、森。
防護壁の外の世界は一面の森に囲まれていた。
「…すごい」
防護壁の中の土地もかなり広く、森も作られて、畑も広い。
でも、それ以上に外の世界の森は迫力がある。
見たことも無い鳥が、外の森から飛び立って、イザークは嬉しくなった。
出来ればもっと間近で見たいが、さすがに30メートルもある壁を降りるのは不可能だ。

小さなベンチが、そこに植えられている木の横にあり、イザークは座ってそこから森を見る。
もうすぐ太陽が沈む。
森が真っ赤だ。
「ずっと…こうしていたい」
風も心地いい。
木が、ざわめく音も気に入った。
木に寄りかかって、ボーっとして過ごす。
誰もいない。
世界に自分が一人だけのような、寂しいけど、優越感に浸れる。
今頃、きっと姉や兄たちが一生懸命自分を探しているだろう。
しかし、イザークにはそんなことはどうでもよかった。



どれだけの時間がすぎただろうか。
10分かもしれないし、もしかしたら一時間かもしれない。
そろそろ、帰ろうかとイザークが思ったとき、突然彼女の寄りかかっていた、木がざわめく。
風はそれほど強くないのに、木の枝勢い良くしなった。
イザークはびっくりして、その場を離れようとしたが、何かに圧し掛かられてしまい、
地面に倒れ、身動きが取れなくなった。
顔から倒れこんだが、運よくすりむくことは無かった。
イザークが身を起こそうとすると、すごい力で両手を捕えられ仰向けにさせられる。
彼女の上には知らない男が乗っていた。
「誰?」
オレンジ色の髪をした男。
イザークには面識が無かった。
なので、そう問いかける。
「誰だって?オマエ…マジで言ってるのか?」
「?」
イザークは本当にわからない。
だって、狼を見たことが無いのだから・・・。

「私のこと、知ってるのか?」
「あーオマエ、知らないのか…俺達のこと」
防護壁が建てられてから生まれたヤギの中には、自分達を知らない奴らもいるだろう。
「だから…どこに、住んでるの?それに、痛いから、離せ」
「イヤだね、1ヶ月ぶりのご馳走…逃がすかよ」
「…ご馳走?」

「そう」
男が、ペロリと唇をひと舐めすると、かすかに覗く。
鋭い犬歯。
ヤギには無いもの。
「まさ・・・か、お…おおか…もがっ…んーんー!!」
「大声出すなよ?子ヤギさん」
狼は片手でイザークの口を塞ぐと、鎖骨を舐めあげる。
イザークは恐怖でどうにかなりそうだった。
こんな所に狼が出るなんて、聞いてない。
此処はまだ、安全な場所なのに。
「白くて、綺麗な肌してんのな?俺と楽しんでから死ぬか?」
「んーっ!!」
「この木はな、地面から此処まで生えてるんだよ。中は空洞で、上れるんだ」
狼はイザークの口を塞いだまま、手を彼女の衣服に伸ばす。
柔らかい肌を時々引っかくように、服を脱がせにかかる。
バタバタ足を動かしても、イザークの力ではどうにもならない。
このままでは本当に、殺される。

いつも持ち歩いてるシルバーの銃は、勿論無い。
ミゲルに言われ続けていたのに。
浅はかな自分の行動を、イザークは悔いた。



「抵抗したって、無駄。大人しくしてれば、気持ちよく殺してやるよ」
「んーー」
本当に、食い殺される。
そう思ったとき、狼の頭に何かが突きつけられたようで、
押さえつけていた力が緩んだ。
その隙に、イザークが狼から逃げ出す。

「キラ…何のまね?」
イザークが顔を上げると、そこにはまた知らない人物。
イザークを助けてくれたのか。
ナイフを、イザークを襲った狼に突きつけているが、
狼は助けてくれる男を知っている様子。
仲間?
「ハイネ、防護壁に登ったって、シホから聞いてきてみれば…」
「はいはい、ご法度でした。それ、しまって」
とりあえず、もう害は無いだろうとキラは判断し、ナイフを収めた。
そして、キラが合図をすると、ハイネは渋々、もと来た道を戻っていった。

太陽がもう、半分以上沈んでいる。
暗がりが、キラとイザークを覆おうとしていた。
「大丈夫だった?」
腰が抜けて、座り込んでいるイザークを心配して、キラが手を差し伸べるが、
イザークはとろうとしない。
「ハイネが…仲間が悪いことをした。ごめんね」
「オマエも…狼?」
はだけてしまった衣服を、かき合わせて、イザーク問いただす。
すると、困ったような顔をしてキラが頷いた。
「うん。そうだよ。でも、君達を襲うことは無いよ。僕はね」
紫の瞳は真っ直ぐにイザークを捕える。
イザークは、それが嘘ではないと感じた。
「僕は、平和を望んでいる。みんなにバカにされるけど、
ヤギだって狼だって生きている。命の重さは、同じだから」
優しく微笑んだ、キラの口元には、やはりキラリと光る犬歯が覗く。
それでも、ハイネに感じたような恐怖は、キラには感じられなくなっていた。

「イザーク!!イザーク!!」

イザークを探す声が、どこからか聞えてきた。
「イザークって、君の名前?迎えが来たよ。それと、もう此処に近づいちゃダメだよ?
今日は偶々だってけど、次はわからない」
「あの…」
「じゃあ、さよなら…」
だんだん、兄弟たちの声が近づく。
大勢にかかれば、たとえ狼でも勝ち目は無い。
キラは、足早にその場を立ち去ろうとした。



「いい度胸だな…蛮族が」

キラが、ハイネと同じように木に出来た穴から、森へと戻ろうとしたとき。
木の後ろから、ミゲルが姿を現した。
「ミゲル・・・」
「イザーク…無事でよかった、多分此処だろうと探したぞ。こっち来い」
イザークはキラを遠ざけて、ミゲルの背後に回った。
「狼が何の用だ、ことと次第によって、此処で処分する」
ミゲルが愛用の銃をキラに向けて牽制する。
「僕は、仲間から彼女を助けたんですよ?もう帰りますから、そこをどいてください」
「ほ…ホントだ!!ミゲル。アイツは、私を助けてくれた」
イザークはミゲルの袖を引っ張りそういう。
「イザーク」
「ダメだ、殺しちゃ」
イザークが説得する。
彼女にそういわれると、ミゲルも弱い。
「…っ、もう二度と、姿を現せるなよ。次は無いからな」

ゆっくりとミゲルが銃をおろす。
イザークはほっとして、彼の袖を掴んでいた手を離した。
「ここは、閉鎖したほうがいいですよ。いま、狼は飢えているから」
「あぁ…」
「キラ…あの」
キラが、木の穴に足をかけて、すべり降りようとするのをイザークが止める。
「僕は信じてるよ。いつか、共存できる時が来ること。その時は、イザークともっと話が出来ればいいなぁ」
綺麗に笑って、それだけ言うとキラは戻っていった。
もう、会うことは絶対ないのに。
でも、信じたい。
また会えることを。

「ありがとう…キラ。いつか…」
その言葉は届くことは無い。
ミゲルにも、聞えない。

その後、ミゲルとイザークの所に、兄弟たちが駆けつけた。
彼らは、一人一人イザークを抱きしめて、彼女の無事を確認した。
そして、皆で家に帰った。
血は繋がっていなくても、きっと一生はなれることは無いだろう。
そして、いつか。
この家族の中に、もう一人迎えることが出来ればいいのにと。
イザークは思っていた。



  
END