※少々ドラマの展開と被りますが、フィクションだと思って、楽しんでいただければと思います。












モルタルの床が、カツカツと音を立てる。
ゆっくりとした足音とそれを追う早い足音は、救命救急センター部長室の前でピタッと止まった。
「なんで、白鳥さんが付いて来るんですか!」
「グッチーを心配して、ついて来てるんじゃない。てゆうか、付いて来てるのはグッチーだったけどね」


この人には、いくら文句を言っても通じない。
言ったら最後。嫌味で帰ってくるのが目に見えている。
でも、言わずにはいられないのは、田口の悲しい性。
背丈も足の長さも全然ちがう二人なのだから、歩く速度も違うわけで。
一人で速水のところに行こうとしたところを見つかって、後を付かれてしまい、最後には田口が彼の後を追う形になってしまった。
「グッチー、そんな可愛く上目遣いで睨んだって、おじさん喜んじゃうだけだよ?」
「…もう、いいです」


田口はドアを二回ノックして、返事を待たずに救命救急センター部長室に入った。
同期の和泉に、『速水先生は部屋にいても、返事をしないからそのまま入っても平気』と話を聞いていたからだ。
田口は先に聞いておいて良かったと思った。
(人の部屋に勝手に入るなんて、自分には出来ない)


部屋の中は薄暗く、無数のモニター画面がICU室を映し出している。
机の上は多くの書類が無造作に置かれていた。
この部屋には到底不釣合いなヘリコプターの模型と棒付飴のタワーが一際目を引いた。
速水は部長用の大きな皮張りの椅子に腰掛け、飴を舐めながら無数のモニター画面に見入っていた。


田口が部屋の中に入り、部長の机の前に来ても、速見はモニターから目を離そうとしなかった。
「速水先生?」
不安になり、田口が声をかける。
「あぁ?」
漸く、速水はモニターから目を離し、田口とそして、一緒に同行してきた白鳥を見た。


「本日付けで、救命救急の精神医療担当としてお世話になりますので、ごあいさつに」
「…あぁ。で、なんでその男を連れてきたんだ?」
「えっ…あの…」
速水の目は田口を見た後、睨むように白鳥を見た。
「相変わらず口の悪い男だね、お前は…」
「ココは関係者以外立ち入り禁止だ…用がないなら、さっさと出てけ」


いつもに増して白鳥の口調がなれなれしい。速水の言葉も鋭く突き刺さるような感じを受ける。
「あの…お知り合い…ですか?」
この氷河期のような空気に耐えられず、田口が話題を振る。


「大学時代の同期だ」
速水の言葉に、田口も納得がいった。
年も同じ頃だし、白鳥だって、こう見えて医師免許を持っている。
「……そうなんですか」
話題を振って、二人を交互に見て、それでも空気は変わらなかった。
「じゃあ、私はこれで…ご挨拶に来ただけなんで…」
いつまでもこんな所にいたら、身が持たないと思った田口は、一目散に逃げようとした。


「待て、田口先生には話がある。白鳥…お前は席をはずせ」
「んー…」
あの白鳥に出ていけと面と向かって言えるのは、速水だけかもしれないと田口は思った。
部屋の空気が、さらに冷たくなったように感じる。
「俺の可愛いグッチーに、何かしたら…ただじゃおかねーからな」
少し考えるようなしぐさをした後、速見にナイフをむける。
白鳥の言葉の最後は、もはやヤクザ口調。それを受けても、速見は飄々としており、早く出て行けと言わんばかりの視線を白鳥に投げつけた。
「じゃあ、グッチー、俺は外にいるから〜。変なことされたら、大声出すんだよ」
声と顔はいつものようにへらへらしていたが、目だけは笑っていなかった。
白鳥は、田口の頭にポンッと撫でるように触れると、そのまま部長室を出て行った。


「そこの、ソファに座ってくれ」
部長室の入り口付近にある、二人がけの黒いソファと一人掛けの黒いソファ。
田口は、二人掛けの方の真ん中にちょこんと座った。
速水は、舐め終わってしまった飴の棒を無造作にゴミ箱に放り投げると、椅子から立ち上がり、そのまま田口の下まで来た。
速水は一人掛け用のソファにドカッと座ると、じっと田口のほうを見た。
「っ…あ…お話って?」
視線が突き刺さり、田口の目は泳ぐ。
「速水センセイは黙っててください…」
「あっ」
それは、今からたった数時間前の出来事。
自殺しようとしたICU患者を速水が吹っかけ、それを田口は止めた時の、田口の言葉を速水が棒読みで言う。
「救急では、俺が絶対だ。余計な口は挟むな」
「っ…ですが、あれは」
医者として、あるまじき行為だ。まして、ICUという生死の境を行き来するような場所において、あの行動や暴言は、心療内科医である田口でなくても、許せない愚行だ。
「速水先生の腕はとても素晴らしいと思います。ですが、医師として、あの発言は無いのではないですか」
「…」
速水はただじっと田口を見つめている。
田口も、負けまいとして、速水の目を見て話をした。
「私は、病院長から、救命救急のメンタルサポート役を仰せつかりました。か…患者さんの精神を乱すような行為や発言は、たとえ速水先生でも…許しません」
「言うな」
一生懸命振り絞った田口言葉は、少し震えていた。
帰ってきた速水の言葉は冷ややかだ。それでも、良い仕事、よいケアをする上では伝えておかなければならないことだった。
「私の言葉が気に食わないなら、救命からはずしてくださって結構です。私にも、仕事がありますので」
「愚痴外来」
いちいち、癇に障ることを速見は言う。
「不定期愁訴外来です!!」
仕事がら、嫌味や文句には慣れているはずなのに、突っかかっていってしまうのは、やはり白鳥とのやり取りをそれなりの期間行って来たせいだろうか。
「もうそろそろ、仕事に戻らないといけないので…先ほどは失礼な発言をしてしまい、大変申し訳ありませんでした!!失礼します!」
このままじゃ、埒が明かないと判断し、田口は自分の非礼をわびて、さっさとこの部屋を後にしようとした。
しかし立ち上がり、腰を浮かせたところで、ヌッと速水の手が田口の左腕をつかんだ。


「生意気なのは嫌いじゃない」
速水は、田口の腕をぐっと引き寄せる。田口はバランスを崩して、よたよたし、ソファの前にある机に数度足をぶつけて、速水の上に馬乗りになってしまった。
その際に、田口の顎が、速水の頭に当たる。
「イタッ…行き成りなにするっ」
「せいぜい、楽しませてくれ」
田口の左手をつかんでいた速水の右手が、腕から彼女の頭へと移動し、ぐっと自分の顔の前に引き寄せる。
そして、そのままガブッと唇に噛み付いた。
突然の、予想だにしない出来事に、田口はとっさの反応が出来なかった。
「じゃあな」
つかんでいた頭を離す瞬間、ペロっと速水は田口の唇を舐めた。かすかに、フルーツの匂いがするのは、先ほどまでの飴の残り香りだろう。
しかし、それを認識したのは、部長室を逃げるように後にして、自分の部屋に戻ってパソコン机に座ってからだった。





田口が部長室から出てくるまで、白鳥は本当に部屋の前で待っていた。
ボソボソと小さく聞こえる声は白鳥には聞こえなかったが、ガタガタと大きな音がした時には、さすがに気になり、ドアを開けようとした。
ドアノブを握った時、ドアが向こう側から勢い良く開かれた。
「グッチー?」
「っ…お…お疲れ様でした!!」
青くなったり、怒った顔の田口は見たことがあるが、真っ赤になって、涙目な田口を白鳥は今まで見たことが無い。
白鳥と目線を合わせず、大慌てで走り、転びそうになりながら、田口は廊下を走り去っていった。
部長室の部屋は開けっ放しだった。
白鳥が中を伺うと、速水は部長用の皮椅子に座っており、タワーから飴を選んでいた。



「何した?」
白鳥は部屋の中に入ることはせず、入り口部分に寄りかかりつつ、敵意を露にして尋ねる。
「あ…まだいたのか。暇だなお前。田口先生に直接聞けばいい…」
「っ!!」
白鳥は、勢いに任せて、部長室のドアを閉め、足早に田口の部屋に向かった。





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