world5
私の神は、貴方ではない。
「さぁ、神に誓いなさい」
シンと静まり返った玉座に、神父の声だけが響いた。
だが、イザークは断固として動かない。
キラも、此処で怒鳴り散らしたいが、静粛な場であるのでそのようなことは出来ない。
しかし、その静寂を一人の人間が打ち崩した。
「蛮族の人間を、帝国の后に迎えるのか!!!!」
儀式の警備に当たっていた一人の軍人が、いきなり回路中央に飛び出し、イザークに向けて銃を構えた。
一瞬だった。
イザークは逃げることも出来ず、ただその言葉を発した人間に振り向くことしか出来なかった。
婚礼に参加していた人間は、いきなりの出来事に慌てふためき、奇声を発した。
「死ね!!!」
銃声が轟き、その弾はイザークに向けて発射された。
だが、その弾はイザークに当たることはなかった。
その代わりに、白いドレスと顔に血しぶきを浴びた。
彼女の前に、神が立ちふさがったのだ。
「っ…何で」
死ぬのは自分のはずなのに。
赤い絨毯に、キラの赤い血が吸い込まれていった。
「皇帝!!」
二人を見守っていたアスランは、キラが撃たれたのを見て、撃った軍人に剣を抜いた。
「貴様…屑が」
「ひぃ!!」
軍人はアスランを見て驚愕したが、それ以上何か話すことはもうなかった。
短い断末魔とともに、首を掻っ切られ絶命した。
アスランは何もなかったかのように、キラの元に駆け寄り様子を見た。
撃たれたのは右肩。
貫通しているので、出血が酷い。
どうしていいのか判らないイザークを尻目に、アスランは皇帝を抱え上げ、その場を去った。
イザークは、一人取り残されたが、すぐに救助に駆けつけた軍人達に助けられた。
すでに人々は逃げていて、回路には軍関係者しかいなくなっていた。
「立てますか?」
座り込んでしまっていたイザークを気遣うように、軍人は手を差し伸べた。
「ぇ…ぁ」
「移りましょうか」
手を引き上げられて、イザークは立ち上がる。
そのまま、自室へとイザークは引き上げた。
目に焼きついた光景が離れない。
撃たれると思った瞬間、視界に入った黒い影。
庇うようにイザークを押しのけた。
信じられない。
キラが自分を犠牲にしてまで、イザークを守るなんて。
式はもちろん中断された。
イザークは着替え、部屋にいたが、キラの様子が気になってしかたがなかった。
しかし、自分が彼に会っていいものか悩む。
散々酷い仕打ちを受けてきたのだ。
「はぁ・・・」
塔から離れてしまったので、此処に鳥が来ることは無い。
だが、その代わりに庭に出ることは許された。
殺風景な庭。
木々は無造作に生い茂り、枯れているものもある。
イザークは息のつまりそうな城の中にいるよりはいいだろうと、庭に出ることにした。
雑草を踏んで、庭にでる。
イザークが与えられた部屋は1階なので、そのまま庭に出ることが出来る。
ザッザッと草を踏む音は生暖かい風に消える。
少し歩くと、木と小さな池にたどり着いた。
湧き水によって出来た池のようだが、水の色は濁っている。
チリンッという音が、イザークのいる背後の草むらからして、彼女は後ろを振り返った。
ガサッガサッと草を掻き分ける音とともに、小さな猫が姿を現した。
鳥以外の生物をこの国で見るのはイザークは初めてだった。
よたよたと歩きながら、子猫は池に顔をつけようとする。
水を飲もうと思っているのだ。
しかし、この池の水は汚いので、まだ免疫力の低い子猫がこの水を飲めば病気になる。
イザークはゆっくりと近づき、その猫を呼び寄せた。
怯えるかと思った猫は、イザークを見るとすぐにそちらに擦り寄ってきた。
「おいで・・・綺麗な水のほうがいいから」
薄汚く、やせ細っている子猫を抱き上げて、イザークは部屋に戻った。
その様子をキラは最上階にある自分の部屋、窓際に置いたベッドの上から眺めていた。
傷は思ったよりも浅く、貫通していたのが良かったのか、
止血をし、薬を塗りこんで包帯を巻かれただけだった。
血も軟膏によって塞がれているので、出ていないし、
アスランの処置が良かったのか数週間もすれば治ると医者に言われた。
「どうして、僕には…」
あふれ出る感情。
皇帝である自分が、鳥や猫がうらやましいというのか。
そんなわけは無い。
それでも、嘘はつけない。
思ってしまっている。
イザークに笑いかけてほしいと。
部屋に猫を入れて、まず洗面所にお湯をはり石鹸を泡立てる。
子猫は大人しく、部屋で待っている。
手に石鹸がついたままだったが、子猫に手を差し伸べると、すぐに擦り寄ってくる。
イザークは子猫を抱き上げて、お湯の中に入れる。
石鹸で体を静かに洗って、お湯で流すと、薄汚れてグレーだった毛の色が真っ白になった。
「お前、凄くきれいだな」
タオルで拭いて、箪笥に入っていたリボンを取り、子猫の首に巻いてやる。
「いいぞ。じゃあ、水をあげよう」
子猫を抱いたまま、水差しを取りに行き、ティーカップの皿に水を注ぐ。
テーブルに子猫を置くと、ペロペロと水を飲みだした。
飲んでいる間に、茶菓子として出たケーキを細かく千切る。
水を飲み終えた後、それを子猫の口元に持っていくと、おいしそうに食べた。
「美味しいか?ふふ…可愛いなぁ」
千切っては口にもっていきを繰り返した。
しかし、お腹がいっぱいになると、いきなり子猫が走り出し、部屋から出て行った。
「ちょっ・・・」
イザークは猫を追いかけた。
この城の中で生き物を見たことは無い。
もしかしたら、見つかってなにかが起こるかもしれない。
部屋を出ると、長い廊下が左右に続く。
白い猫は、右に走っていた。
イザークもスカートの裾を持って走った。
廊下の端につくと猫が角を曲がる。
角を曲がるとすぐに階段があり、猫はその階段を軽やかに上がっていった。
イザークも息を切らしながら階段を上がる。
猫は一気に最上階まで上がった。
イザークが必死の思いで上がると、なぜか猫は彼女のことを待っていたが、イザークの姿を確認すると、猫はまた走っていた。
「はぁ・・・はぁっ・・・どこに」
イザークはまた走り出す。
猫を追いかけると、一つの扉の開いた部屋の前に来た。
自分がいた部屋の扉とは明らかに違う豪奢な作り。
『ニャァ…』
奥から猫の声がする。
イザークは、そっと扉を開けて中に入った。
扉の中の部屋には赤い絨毯がひきつめられていた。
しかし、それ以外には窓辺に大きな天蓋つきのベッドがあるだけ。
何も無い部屋。
『ニャァ・・・ニャゥ』
確かに猫の声は聞える。
「出ておいで?・・・早く」
イザークが話しかけても、何も反応が無い。
「出ておいで??」
「…何が?」
キラがベッドの陰に立っていた。
猫を抱えて。
「ぁ…」
「この猫…君が?」
ゆっくりとキラがそこからイザークへ向かって歩いてくる。
「ニャァ」
キラは猫の喉元を撫でながら、イザークの前に立った。
イザークは動けない。
猫は心配だが、足が動かないのだ。
「…ちゃんとしないと…誰かが処分する」
「あっ」
キラが猫を差し出す。
イザークは無意識にそれに反応して、手を出して猫を受け取った。
「ぁ・・・ぁりがとう…ございます」
小さい声でイザークがお礼を述べる。
「…」
キラはそれには何も言わずに、またベッドの方に戻った。
来る時は気付かなかったが、どうも歩き方が不自然だ。
右肩が不自然に上に上がっている。
そこでイザークは思い出す。
キラが自分を庇って、銃に当たったということを。
「ぅ・・・ぅでの・・・傷は…」
去るキラに咄嗟にイザークは声をかけてしまった。
「大事はない」
「ありがとう…ございました…私を」
「庇ったわけじゃないよ」
言う前にキラがさえぎる。
「体が勝手に動いた。それだけだ…用が無いなら出て行ったら」
「…また、来ます」
なぜかそう出た。
口がまるでそこだけ意思を持ってしまったように。
イザークは自分で言って驚いた。
「・・・勝手にして」
キラは振り返ることなくそういう言うとベッドに戻った。