flower4
さっきと同じ音がして、扉が開くと、4階と同じようなホールに出る。
二人が歩く音が響く。
地下だけに、幾分ひんやりした感じが二人を包む。
ホールから伸びる廊下もやはり同じ造りだったが、大きな扉が二つしかなかった。
「左が書庫だよ。右は…倉庫かな?書庫はいつでも鍵が開いてるから。
今日は誰もいないと思うけど…」
「あぁ…」
年代物の大きな扉をキラが開けると、そこには書庫と言うより、
図書館といったほうがいいような風景が広がった。
イザークは読書が好きでよくいろいろな図書館に行ったが、
今まで行ったどの所よりも雰囲気が気に入った。
入ると、独特の臭いがする。
かなり年代物の本が多く、ほとんどの本の背表紙が茶色く変色していた。
そこらの図書館よりも沢山あり、一個人が所有しているのだろうかと疑うほどの量だった。
入ってすぐ目の前に、何脚かソファがあり、それを挟んで左右に何列も本棚が続いている。
本棚の一番上は、イザークでは届きそうもない位置にあるが、近くに脚立があるのでそれを使えなんとか届きそうだ。
「好きなだけ読んでていいよ。おなか空いたら、そこに電話あるでしょ?
内線で10番押すと直接厨房に届くから、欲しいものがあったら頼んでもって来てもらえばいい」
「わかった。あ…これ返す」
イザークは羽織っていたキラの上着を脱ごうとした。
これから大学に行くなら、必要だと思ったのだ。
「此処寒いから。着てていいよ?ちょっと大きいけど我慢してね」
「…あ…りがとう」
うつむき、少し顔を赤らめながらも礼を述べるイザークに微笑みながら、キラは書庫を後にした。
書庫と言うには大きすぎる部屋で、イザークは自分の興味を引く本を何冊か見つけた。
ソファのすぐ近くに自分の好きな分野の本が固まってあったので、
もしかしたら奥にももっとあるかもしれないという淡い期待を持ちながら、
とりあえず持ってきた本をソファの前のテーブルに置いた。
4冊の中の一冊は100年も前の本で、歴史の授業の中でしか見たことのないものだった。
いつしかイザークは読書に夢中になっていた。
4冊を読み終わると、きちんと本棚に戻し、今度は書庫の中を散策することにした。
書庫の少し黴臭い感じもまたイザークの気に入ったところでもあった。
少し歩いては、本をぱらぱらと捲り、元に戻す。
右側をざっと見終えて、左側の奥に来た時、壁のほんの隙間。
人が一人通れるくらいの扉があった。
イザークは不思議の国のアリスみたいだと思い、好奇心からその扉を開けた。
扉を開けると、向こう側には扉はないようで、光がさしているのがわかる。
四つんばいにならなければ通れないが、さして向こう側まで距離はなさそうだ。
思いきって中に入り、少し行くと部屋に出た。
かなり大きな部屋で、中央に天蓋付きのベッドがありカーテンは下りていた。
壁際には箪笥などの家具が置いてはあったが、余り生活感を感じるような場所ではなかった。
地下なのでもちろん窓はない。
天井の照明もそれほど明るくはない、書庫から入ってきた時は明るいと思ったが、意外に暗い。
書庫からの道以外、部屋には2つ扉があった。
イザークはぱたぱたと、四つんばいで歩いたため服に付いた埃を払いつつ、部屋の中を歩いた。
ちょうどベッドの横を通った時、いきなりカーテンが開いてイザークはそこから伸びてきた手に捕まれ、ベッドに倒れこんだ。
「っ!!」
イザークが倒れこんだことで、ベッドのスプリングが勢いよく軋み、ギシギシと音を立てた。
「こんなところに…何の用?」
ベッドの上にいたのは、イザークが一番会いたくないアスランだった。
イザークは、アスランを押し倒すような形で、ベッドの倒れこんでしまった。
「なんで…」
「此処、俺の部屋だから…」
さっきの光景が頭を横ぎり、イザークは身を硬くする。
そんなイザークの態度に気付いたアスランは、彼女を掴んでいた手を離す。
「もうさっきみたいなことはしないから安心して?」
最後に見た、捨てられた子犬のような目をまたイザークに向けた。
「この部屋、座るところ無いから…ココで。少し話ししようよ…」
「……うん」
イザークはベッドの淵に腰掛け、アスランはベッドに仰向けで寝そべった。
「キラから大体のことは聞いた?」
「あぁ」
「許せなかったんだ…君が」
「…」
「俺のエゴで、傷つけた…本当にごめん」
アスランは顔を両手で覆いながら、つぶやいた。
「子供だと、キミは思うだろうけど…」
「肉親を大切に思うことに年なんて関係はないと思う」
父を物心付く前に亡くし、数日前に母をも亡くしてしまったイザークには、よくわかった。
「肉親がいるだけいい」
「…そうだね」
アスランはサッと尾ベッドから起き上がると、イザークの横に腰掛けなおした。
「仕切りなおし。俺はアスラン・ザラ」
「私はイザーク・ジュール」
アスランが差し出した手を、戸惑いながらもイザークは握り返した。
今のアスランからは、色々言われた時のような、相手を跳ね除けるようなオーラは感じられない。
「アスランでいいから。明日父上から、正式に話があると思う。
君の気持ちを正直に話して欲しい。俺が言ったことは気にしないで」
「でも…」
いきなり養子になれと言われてもはっきり言って困る。
しかし、行く当てなどどこにもない。
「帰る場がないことを気にしてるなら、好きなだけ此処にいればいいよ」
「そんな…」
「部屋なら気にすることないし…きっと居てくれるだけ父は喜ぶんじゃないかな…キラもキミには懐いてるようだったし」
「…」
「俺も…キミに居て欲しいけど」
イザークは耳を疑った。
アスランがイザークに居て欲しいといったのだ。
何という変わり身の早さ…でも、イザークのことを思ってくれているのは言葉、表情からもわかる。
精一杯、さっきのことを償おうとしてくれているのだ。
此処まで説得されては、無碍にはできない。
「明日…その、アスランの父上の話を聞いてから…それから」
「うん、考えてくれればいいよ」
アスランの微笑みは柔らかい。
イザークは柄でもなくさっきと違う意味で緊張した。
「それにしても…あの書庫はすごいな」
「あぁ…気に入った?」
何とか他の話題にもっていこうと、イザークは話を切り替えた。
「大学の教科書でしか見たことのないような書物ばかりだ…誰かの趣味なのか」
「さぁ…よく知らないけど。結構前からあるらしいよ。俺も暇な時はあそこに篭りっきりで。
部屋に戻るのが面倒で、ここに部屋を造って貰ったんだ。普段はさすがに此処には居ないけどね。
夏とか、休暇が続く日とか…結構ここにいるよ」
「ふーん」
「何かいい本あった?」
「ローラ・ローレルの書いた『古代民俗学』とか…あと、図説の資料とか何点か」
「へぇ…民俗学?大学の専攻だっけ」
「あぁ…古人の風習を紐解いていくのはとても面白い。古人の知恵は素晴らしいものばかりだし、
今は失われてしまったものでも、この時代にあればもっと違った形で利用できるものばかりだ。…なんだ?」
「…」
長々と話して、アスランがずっと自分を見つめていたことにイザークは気がついた。
「生き生きしてるから…よかった」
「!?」
満面の笑みで突然そんなことを言われて、イザークは赤面した。
不意打だ…そんな顔で笑うなんて。
「さぁ…そろそろ上に戻ろうか。もう夕飯になる頃だし、キラも帰ってくる」
「あぁ…」
アスランは自然に出した言葉だったようで、別になんともないのだろうが、
イザークは元々男性との接触も多くはなく、まして、二人っきりになったこともなかったので、どう対応していいのか判らなかった。
「さっき、イザークが入ってきたのは俺が作った抜け穴なんだ。本当の入り口はこっち」
そういって、部屋にあった二つのうち一つの扉を開けると、廊下に出て、少し先のほうに、
キラにつれてきてもらったエレベーターホールがあった。
「戻ろうか…」
書庫で少しだけだが相互理解を深めたアスランとイザークは、夕食の時間になったのでいったん、
イザークがいた客間に戻ることにした。
地下のエレベーターホールには、イザークが書庫で見つけた小さな暗い通路ではなく、
ちゃんとしたアスランの部屋の扉から行くことができた。
二人はエレベーターに乗り込み3階を目指したが、途中1階で誰かが乗り込んできた。
「あれ?アスランさん?」
「シン」
乗り込んできたのは少女だった。
綺麗な黒髪のショートボブ。
目は燃えるように赤く、唇はさくらんぼのように水々しい。
しかし、イザークには二人に共通点を見出すことができなかった。
シンと呼ばれた彼女は、勝手知ったるなんとやらでエレベーターに乗っている。
もしかしたらアスランの妹かもしれないが、ぜんぜん似てない。
家の使用人かと思えば、それにしてはカジュアルな服装である。
イザークが怪訝そうにしているうちにエレベーターはイザークが元いた3階に到着した。
アスランはイザークに降りるよう促し、シンにも一緒に来るように言った。
部屋に戻ると、大学に行くと言っていたキラが戻っていた。
「キラァ!!」
「シンお帰り」
シンは部屋に入り、戻ってきたキラに走って駆け寄り抱きついた。
「え?」
驚くイザークに、アスランがシンを紹介した。
「イザーク…彼女はシン・アスカ。僕の恋人なんだ」
「よろしくお願いします」
イザークがアスランに紅茶を浴びせたソファ(もう誰かが綺麗にしたらしい)にみんなで座って、キラは恋人をイザークに紹介した。
シンは孤児らしい。
キラの両親が寄付をしている孤児院で育ち、余りにも優秀だったため、
キラ達が通う大学から奨学金が特例で出ることになったらしく、現在通っているという。
4人は同じ大学に通っていることになった。
シンはイザーク達より2つ年下の18歳だ。
よく孤児院に遊びに行っていたキラとは結構古くからの知り合いで、長年キラの片思いだったらしい。
孤児という負い目が、シンを臆病にさせ、彼女もキラを思っていたにもかかわらず、後一歩が踏み出せなかったようだ。
あまり詳しくはイザークには話さなかった。どうやらアスランも詳しく知らないらしい。
シンも18だし、そろそろ孤児院も出なければならない年だ。
大学に通いながら、家賃などの生活費を稼ぐのははっきり言って無理だ。
アスラン達が通う大学の傍は高級住宅街が立ち並び、家賃はかなり高い。
なので、キラはシンが大学に入ると決まって、一緒に住むように促した。
それにシンも同意したようだ。
また、出張などで家を留守にしがちなキラの両親は、アスランの家に前々から子供を預けがちだったが、
大学もアスランの家が近いということで、この際アスランの父もキラとシンを屋敷から大学に通わせるように
キラの両親に勧めた。
キラの両親も長期にわたる研究に携わることになってしまったため、アスランの父パトリックの意見に同意した。
という経緯があって、3人は1年前からここで一緒に生活しているようだ。
「キラはこんな時間まで大学にいたのか?」
ちょっと出てくるイザークに言って正午過ぎに出て行ったキラは、どうやら午後六時を過ぎた今帰ってきたえらしかった。
キラの真向かいに座ったイザークはたずねた。
「ちょっと、実験結果が良く無くて…なかなか進まなくて。シンも途中まで手伝ってくれてたけど…」
「あんま、役に立てなくてごめんね。自分のほうも立て込んでたし」
キラとシンのなにやら甘い雰囲気に、イザークはこの場に居づらくなった。
コンコン
ちょうど良いタイミングでイザークが使用していた客間の扉がノックされた。
入ってきたのは初老の執事だろうか。
「坊ちゃま方、夕食の準備が整いましたので…どうぞ1階のホールまで起こし下さい」
「わかった。じゃあ、イザーク行こうか」
「え…あぁ」
「僕は大学から帰ってきたままだから、ちょっと着替えていくよ。その後シンと一緒に行くから…」
「アスランさんたちは先に行っていてください」
「あ…キラ…これ」
イザークはずっと借りっぱなしだった上着をキラに返した。シンの目が気になったが、
仕方がない。今ここで返さないと、返す機会を失ってしまいそうだったから。
「半袖じゃ、寒くない?」
「俺の…着てるといいよ」
今度はさりげなくアスランが上着をイザークに差し出した。断る理由もなく、空調が効いていても少し肌寒いと感じていたので、
素直に受け取った。
「あ…りがとう」
キラが微笑みながら彼らを見ていた。
どうやら、自分がいない間に、二人に何かあったのだと悟ったようだ。