flower3



彼女を助けたのは本当に偶然だった。
本当に偶々彼女が自宅の前で襲われそうになっていたのだ。
助けない訳にも行かず、気を失ってしまった女性を道においていくことも出来ず、介抱した。
エザリア女史の借金のことも前から知ってはいたが、父と女史は本当に仲がよかった。

それはアスランの目から見ても明らかだった。
エザリア女史は何度もうちに来ていたし、それを父も快く迎えていることは知っていた。
早くに妻を亡くした父は、エザリアに一種の恋愛感情を持っていたのだろうか?
そして、父は借金のことについて、本当は気にしてはいなかった。
まったくといっていいほどに。
金を貸しているのは事実だが、父がそれを返すよう求めていると言うのはまったくの嘘だ。
ザラ家にとって、十億などほんのはした金に過ぎない。
父はむしろエザリアが自分を頼ってくれているのを嬉しいと思っていたのだ。

では、何故アスランはイザークを傷つけるような態度を取ったのか。
アスランが、イザークを傷つけた理由は、父がイザークを引き取ると言ったからだった。
エザリアが病死した時すぐに、父にも連絡が入った。
そして、身寄りのなくなってしまったイザークを自分の家の養女にしようと誰に言う訳でもなく
勝手に決めたのだ。
アスランという息子がいながら。
アスランの父、パトリックは厳格でかなり厳しい。それは、職場でも家でもだ。
もちろん息子のアスランも例外ではなく、厳しい教育を受けてきた。
しかし、今朝方、本当に久しぶりに一緒に朝食を取っていた席で、いきなりその厳しい父がアスランに言ったのだ。
「イザーク・ジュールを養女に迎える」と。
その時、父はイザークが自分の家で介抱されているとはまだ知らなかった。
そして、今日明日中にも、彼女にそのことを話し、早いうちに養子縁組の話をつけると言ってきたのだ。
自分の息子には今までぜんぜん気にも止めずほったらかして、放任していたのに、なぜ血縁者でもない、
知り合い、知人程度の他人の子供を気にかけるのか。
しかも、金を貸して、返しもせず死んでしまった女の子供を。

アスランは父から愛されたという記憶がほとんどない。
唯一覚えているのは、幼少の頃の誕生日にもらった工具セットだった。
父が自分の好きなことを知っていると知って、すごく嬉しかったことを彼は覚えている。
しかし、後にも先にも、それだけだったような気がする。
最初はアスランも必死に父に話しかけ、コミュニケーションを図ろうとしていたが、反応が無いので、
それすらも諦めてやめてしまった。
そんな状態がもう10年以上続いている。
アスランの唯一の理解者であった、母レノアは彼が5歳の時に病気で亡くなっている。

それ以来、彼の周りは家の使用人だけになった。
学校では、いつも敬意や尊敬の眼差しで見られ、本当の意味で彼を見ている人間はいなかった。
唯一、幼馴染で月からこちらに戻ってきたキラだけが、アスランの理解者になってしまった。
キラが戻ってきたのはアスランが10歳の時。
彼はキラが来るまでの5年間、孤独だったといっても間違いではなかった。
つまり、アスランはただイザークに嫉妬していたのだ。
何もかもある…お金で買えるものは何だって手に入るのに、愛されず、実の親にさえ気にかけてもらえない自分。
そして、何もないのにまだ愛されて、必要とされるイザーク。
それが憎かった。
うらやましかった。
こんな年にもなって、子供じみたことだったが。
愛が…欲しかった。
自分を見てくれる人間が、欲しかったのだ。
自分は父に愛されたかった。
彼の「愛」への飢えは、5歳からずっと、キラが戻ってきても続いていた。

縋り付くイザークを引き剥がしたアスランは、今度は壊れ物にでも触るようにやさしく触れた。
自分も床に座り、イザークを抱き寄せて、美しい銀色の髪梳き、肩にふれ、頬を指でなぞる。
強い眼差しを持った、アイスブルーの瞳は、今は焦点が合わない。
大学でアスランは何度かイザークを見かけていた。
元々違う学部で、まして文系と理系だったため、会うことはめったになかったが、
よくうわさは耳にした。
『氷の女王』とはよく言ったもので、彼女は本当に背筋が凍るくらい美しかった。
いつも遠巻きで人に見られて、崇拝の対象のような存在のイザーク。

一種、自分と同じようなモノをアスランは彼女に感じていた。
それが今は自分に縋り付き、泣きこそしないものの、弱々しい。
「…ごめん」

耳元で囁くと、イザークはビクッっと震える。
彼女には何が起きたのかわからない。
さっきまでの態度と違う、突然謝るアスランに、今度は困惑の表情を向ける。
「ごめんね…イザーク」
片手をイザークの背中に回し、もう少しだけ自分のほうに引き寄せる。
そしてもう片方の手をイザークの顎へと持っていく。
少し抵抗するものの、アスランが背中を抱いていているので離れることはできない。
視線が合い、イザークは目で問う。
『何故』と。
さっきまであんなに愚弄されたのだ。
急な態度の変化に疑念を抱くのも無理はない。

しかし、今ではそんなことすら嘘だったかのように、アスランはイザークにやさしい目を向ける。
顎を支えた手の親指でやさしく彼女の唇を撫ぜ、不意にアスランはイザークに口付けを落とした。
唇が触れ合う前にもう一度。

「ごめん」
アスランが言った。



「なんで…」
なんで、キスなんかするんだ。

急にやさしくなって、抱きしめられて…。
恥ずかしくて、何がなんだかわらなくて、アスランの顔が見られない。
うつむいて、今起こっていることを整理しようとしても、思考が追いつかない。
イザークが戸惑っている間も、アスランは彼女を抱きしめ続けた。
「ごめんね…」
さっきから何に対しての謝罪なのか。
うつむいたイザークの顎を捉えて、またそっとやさしく上を向かせて、口付ける。
「ん…やぁ」
イザークは、今度は本気で抵抗した。
アスランの胸を両手で押して、座った体勢をどうにかして起き上がらせようとするが、
彼の自分の体を抱きしめる力が強すぎてびくともしない。
口付けが苦しくなって、イザークが顔を背けて息を吸おうと口を小さく開けると、アスランはそれを見逃さず、
彼女が息を吸い込んだ瞬間を見計らって、さらに深くキスをする。
「はぁ……んぅ!?」
突然舌を入れられて、イザークは目を見開く。
近すぎて、アスランの顔がよく見えない。
怖くて縮こまってしまっているイザークの舌をうまく絡めて、口腔を蹂躙する。
背中を抱いていた片手を、彼女の頭の後ろへもっていき、さらにキスを深くするため固定する。
「ん…はぁ…んぅ…ぁ……」
飲み込めなかった二人分の唾液がイザークの口から零れ落ち、顎、首を伝って胸元へと落ちて白いワンピースを濡らす。
時折イザークに呼吸するタイミングを与えながら、かなりの時間アスランは彼女の唇を味わった。
キスの湿った音がテラスに吹き込む風に溶ける。
ちゅっと吸い上げるような音がした後、やっとアスランはイザークの唇を開放した。
頭を抑えていた手を、背中に戻す。
酸欠になりかけて、肩で息をするイザークにさらに追い討ちをかけるように、
今度はこぼれた唾液を唇から、あご、首へと舐め取っていく。
「なっ!!…やめ…んん!!」
首を少し吸い上げると、綺麗な赤い花びらのようなしるしが残った。
痛かったのか、イザークはビクッと肩を揺らす。
同じ場所を今度は舐めると、彼女の薄く空いた唇から暖かい吐息が漏れる。
鎖骨にも後を残し、アスランの吐息が少し大きく開いた胸元へと移動した。
「やぁ…もぉ…助けて!!!!」

バタン!!

限界まで我慢したイザークがとうとう大声を出した。
それと同時にキラが戻ってきた。
勢い良くバルコニーの扉を開けて。
「アスラン!!!やりすぎだよ」
「あ…」
キラは駆け足で、アスランに抱きしめられつつも、すっかり震えてしまっているイザークに近づき、
かばうように彼女を彼から離した。

「イザーク…大丈夫?」
「…」
アスランから離れても震えが止まらないイザークは、弱々しくキラに縋り付いていた。
「アスラン…まったく君は」
「悪い…ちょっと頭冷やしてくるよ」
キラに寄り添うイザークを横目にアスランは部屋を出て行った。
残ったキラはとりあえずイザークを部屋の中に戻した。
ソファにイザークを座らせて、キラは自分の上着を彼女にかける。
そして、キラはうつむいたままのイザークに、アスランの話をした。
養子のこと。
アスランの過去のこと。
キラが、『嫉妬してたんだと思う』といった時、イザークはアスランのあの態度の理由がわかった。
自分が逆の立場だったら、恨まずに受け入れられるか。
本当の親から愛されない辛さがイザークへの言葉の暴力になったのだと。
今の自分と、彼は少し似ているような気がした。

しかし、理由がわかって、それを納得できたとしても、一度受けてしまった傷はそうすぐには治らない。
彼を怖いと思う気持ちは、すぐには変わらない。

「イザーク。明日の朝、パトリックおじさんから話があると思う。
君がここにいることはさっき知らせてもらうように言ったから。きっともうおじさんも知ってる」
「…」
「僕は君に此処にいて欲しいと思うよ。アスランのために」
「なんで…」
キラはやさしい。
イザークはキラと一緒だったら、なんとかやっていけそうだと思った。
しかし、彼はアスランのためにイザークに此処に残れと言う。
「君がアスランの支えになればいいと思う。此処を出て行く時の顔を見たでしょ?
捨てられた子犬みたいだった」
確かに、あんなことをイザークにして、言っておきながら、自分も被害者のような顔をしてた。
「アスランは5歳で母親を亡くしてから、誰にも愛されず生きていた。
名家の長男だし、世間には敵もいっぱいいる。周りは使用人ばかりだから…彼は人の温かさに飢えてるんだ」

「でも…私は」
「傍にいてくれるだけでいいんだよ?」
「私は、あいつが怖い。あの何もかも見透かすようなエメラルドの瞳が怖い」
イザークは自分を抱きしめて言った。
「そっか…」
細くため息をつくと、キラはソファを立つ。
「今日は…疲れたでしょ?後で何か食べるもの持ってくるから、ベッドに横になってればいいよ…
でもなかったら、本でも読む??この家かなり大きな書庫があるから、きっと誰もいないだろうし、案内するけど?どうする」
イザークは疲れてはいたが、寝られそうもなかった。
一度にいろんなことがありすぎて、寝ようとしてもそれが一気に自分の頭の中をめちゃくちゃにしてしまいそうだった。
なので、キラの発した『書庫』という言葉に、大げさに反応してしまった。
本を読めば少しは気が落ち着くはずだ。
いきなり、イザークが自分のほうを勢いよく振り向いたので、キラはおかしくて笑ってしまった。

「あは、本好きなの?」
「うん」
イザークはこくこくと頷く。
「じゃあ、行ってみようか。僕はこれからちょっと大学の研究室に顔を出さなきゃいけないから、案内するだけになるけど…」
「かまわない」
「じゃあ…はい」
にっこり笑うと、キラはイザークに手を差し伸べた。
その余りの自然さに思わずイザークもその手をとって、ソファから立ち上がった。
キラの上着を借りたまま、二人は部屋を出た。

部屋を出ると、右も左も長い廊下が続いていた。
「この家無駄に広いから、わからなくなったら誰かに聞くといいよ。客間ってどこですか?って」
「わかった」
「此処は4階。書庫は、地下なんだけど、エレベーターがあるから。こっち…」
イザークの手を引きつつ、キラは廊下を左へと進んでいく。
結構な距離を進むと大きなホールに出た。
エレベーターが2機ある。
「さっきまでいた部屋から右に行くと、階段があるんだけど、疲れるから」
ボタンを押して、エレベーターが来るのを待つ。
チンッと音がして、扉が開く。
乗り込むと、自然と繋がれていた手が離れた。




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