flower2
「君が俺のことを知っていたとは光栄だよ」
部屋に入ってきたのは、紺色の髪の青年。
透き通った緑色の目は、切れ長で、所謂かっこいい分類に入るのだろう。
イザークは、何度か公式の場で彼を目にしていた。
アスランの父は国防委員長だ。
母も何度かパーティーに招待されていたし、イザークも何回か参加したことがある。
お互い話たことは一度もなかったが。
「私を助けてくれたのは…あなたか?」
ドアをきちんと閉めて、アスランはイザークと立ったまま向き合う。
イザークも背は高かったが、アスランはそれよりも大分高いようだ。
まとう雰囲気だろうか。
イザークは空気の圧迫を感じていた。
「立ったままもなんだから、もう一度座ってもらえる?」
「…私は、礼を言って…もう」
帰りたかった。
こんなところにいて、さらに惨めを感じたくなかった。
「助けた相手が座ってって、言ってるんだけど…聞いてくれないのかなぁ」
「あ…」
イザークの前に立ちはだかり、腕を組み…そして睨むように彼女を見つめる。
無言のプレッシャーをヒシヒシと感じる。
アスランの綺麗に整った顔がさらに研ぎ澄まされる。
この男…怖い。
イザークは瞬間的に感じ取った。
「アスラン!!」
ふと後ろから声がする。
金縛りが解けたように、イザークは後ろを振り返った。
キラの存在を忘れていた。
「イザークが怖がってる…睨むのよしなよ」
今度はキラがアスランを睨む。
「わかったよ。とにかくジュール嬢座っていただけるかな」
「あぁ…」
キラが声をかけたことによって、空気が和らいだ。
イザークは自分の手が汗を掻いていることに気が付いた。
息をすることも忘れていた。
「ごめんね、イザーク。アスラン無表情だし…性格こんなだから。怖かったよね」
「いや…」
キラとアスランは相当仲が良いのだろう。
さらっとアスランの欠点を言ってしまうキラに、イザークは驚いた。
それを、何でもなさそうにアスランも聞いている。
3人は、再びソファに座っていた。
対になったソファの片方にイザーク。
そしてそれに対面するようにアスランとキラが座っていた。
イザークから話を切り出した。
「助けて…介抱までしてもらって申し訳なかった。もう体も大丈夫だから…帰る」
「帰るって…帰る場所なんかないでしょ」
「ちょっと、アスラン!!」
そういわれて瞬間的にイザークはアスランを見る。
やっぱり知っている。
世間にニュースとして流れたのだ…母の死が。
そして…母の借金やその他もろもろ。
アスランに言われて、怒りを表すことも出来ない…すべて本当のことだから。
帰る場所は無い。
かといって行く当てもない。
イザークに残されたのは1つのカバンとその中身。
世間を知らずに育った少女だ。
一人では、きっと何も出来ない。
「だが…いつまでもここにいるわけにはいかない」
いつまでもこんなところにいたくない。
ここには、以前の自分が持っていた全てのものがあるのだから。
「いく当てはあるのか?家も無く、金も無い…あぁ体でも売る?」
「!!」
そういわれた瞬間、イザークは立ち上がり自分の前にあった紅茶のカップをアスランに投げつけていた。
カップが当たって、中身がアスランにかかり、そしてゴットっと絨毯の上に落ちる。
「うわ!ちょっと二人とも…」
キラが止めようとするが、険悪なムードに入っていくことが出来ない。
「はぁ…拭くもの…取ってくるから…」
仕方なく、彼はタオルを取りに部屋を出て行った。
紅茶をかけられても、アスランの目はイザークを見つめるだけだ。
侮辱の言葉を紡いでも、彼の顔は一切歪まず、綺麗だ。
今度はイザークも敵意をむき出しにして、アスランを睨む。
悔しくて、拳を握る力をさらに強め、爪が手のひらに食い込んでも気にしなかった。
「体なんか売らない!!私を侮辱するな!!何も知らないくせに…」
「何も知らなくもないけど…シュール嬢…貴女にはまだ借金が残っていることはご存知かな?」
「え!!」
アスランは上着のポケットからハンカチを出して、濡れた髪や顔を拭いた。
「そ…そんなはずはない。家も何もかも押さえられた。関係者がこれで全部だと言っていた。
でたらめ言うな!!!」
何もかも奪われたのだ…もう何も無い。
これ以上どうしようもない。
何も差し出せるものなんて無い。
「でたらめって言われても…これ読めばでたらめじゃなくなるよ」
アスランは、今度は胸ポケットから、何度か折りたたんだ紙を取り出し、開いて、まだ立ったままのイザークに差し出した。
「…融資…契約書。母はザラ家からも借りていたのか??」
「そう。君の母上と俺の父は結構親しかったらしいからね…」
「担保は…君だよ。イザーク・ジュール」
「た…担保が私?」
「そうだ。君の母上の借金額は10億。今すぐにも返して欲しいと父は言っている」
借金の額を聞いて、イザークは力が抜けてソファーに再び座り込んでしまった。
ジュウオク
一体それがどんな大金なのかもわからない。
差し押さえられ、売り飛ばされたイザークの家だって相当の金額だったはずだ。
なのに、それ以上にザラ家から借りていたとは…。
母は一体何がしたかったのだ。
今になっては、それすらも真相は闇の中だが。
「さぁ…どうやって返済していくつもり?」
「…」
普通に稼いだって、女性の一生にもらえる給料なんてたかが知れている。
自分に生命保険でもかけても自殺では保険料はもらえない。
「君をそうだね…人身売買のブローカーに売ったとしても…10億はいかないな。
あぁ…でも…君みたいなプラチナの髪は珍しいし。何より顔も綺麗だしね…。
珍しいものが好きな金持ちだって沢山いるわけだから。それぐらい出してもらえるかも」
少し微笑みながら、アスランはさらりと恐ろしいことを言う。
他人に商品として自分を売られ、そこで飼い殺しにされる、もしくはそれ以上の扱いを受ける…。
そんなこと、イザークのプライドは許さない。
人間の尊厳を失ってまで生きたいとは思はない。
だったら。
彼女にとっての唯一の肉親である母はもういないのだ。
自分を必要としてくれる、自分を無条件で愛してくれる人は、もういない。
ならば、生きていても意味がない?
イザークの頭の中を、ものすごい勢いで、母が死んでから今までの出来事が駆け巡る。
死ぬ?
自分は…この世界に何の未練も無いだろうか…。
うわべだけしか見ない大人。
自分の容貌と地位や背景にしか興味を示さない、大学の人間。
よくよく考えたら、この世界は汚れていて、時にイザークに呼吸することさえ許さない。
天国は…そのままの私を受け入れてくれるだろうか。
それならば。
「…じゃあ。死ぬ…」
「!!」
イザークはいきなり立ち上がると、部屋のバルコニーへと走った。
売られるくらいだったら、死んだほうがましだ。
ならいっそ、母のいるところへ行ってしまいたい。
バルコニーに出ると、イザークの目の前に木々と青空が広がっていた。
地面が見えないので、今彼女がいる場所はかなりの高さがあるはずだ。
落ちたら確実。
しかし、彼女が生死を分けている柵に手をかけて、それを乗り越えようとした時。
ものすごい力で引き戻された。
体の半分はすでに柵に乗っていたので、その不安定な状態からバルコニーの床へと叩きつけられる。
不安定なまま頭から硬い大理石の床に落ちる形になって、イザークは少々頭を床に打ちつけ、
軽い脳震盪を起こす感覚に襲われた。
一瞬、目の前が真っ暗になって、でも、すぐに意識が戻る。
アスランが、助けたのだ。
死のうとしていた彼女を彼は無理やり生の世界に引き戻した。
イザークを追い詰めるような言動をしておいて、結局アスランはイザークを助けたのだ。
いや、自分の家で死なれるのが嫌だったのか。
「私を…助けるのか?」
「…」
「それとも、無理やりにでも売り飛ばすと言うのか?」
倒れていたイザークはゆっくりと上半身を起き上がらせる。
見上げれば、そこにはアスランが立っていて、驚いたような、怒っているような、なんだかわらない顔をしている。
「金は払えない…売られるくらいだったら死んだほうがましだ。逃げると思われてもな」
顔をアスランに向けて、イザークは綺麗に笑った。
「死なせてくれ」
そして、アスランの足に縋り付いた。
白く華奢な手がアスランのズボンを引っ張る。
アスランを焦点の合わない目で見つめ、微かに微笑みながら死を懇願する。
「お願い…死なせて…」
「…っ!!」
縋り付くイザークの手をアスランは無理やりはがした。
それでも再度イザークはアスランに縋り付き、懇願する。
壊れてしまった玩具のように。
泣いているわけでもなく、ただひたすらに。
何度も何度も。
そんなイザークの姿を見て、さすがにアスランはやりすぎたと思った。