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母は国会議員だった。
父は知らない。
私は、片親ながらも立派な家に住み、それなりの教育を与えられた。




ある日大学から帰ると、家には知らない人間がたくさんいた。
黒い服を着た人間達は、口々に私に言った。
『お母さんが死んだ』
『借金が残っている』
『誰か親類はいないのか』

私達母子に、親類はいない。
なぜ、もっと早く連絡が来なかったのか。
大学に連絡が来てもよさそうなものだが、母の秘書『ミゲル』はほかの事で大忙しだったようだ。
母の死の原因は『急性心筋梗塞』
もともとそんなに体の丈夫ではない母だったが、あっけなかった。
借金があることも知らなかった。
大分、いろいろな団体に支援をしていたらしいが、その団体の経営もあまりうまくはいってはないようだった。

母の死を悲しむより先に、大人たちは私にあれこれ手続きをさせた。
大学の退学届けの記入。
生命保険の受け取り先の変更。
家や家具の売却。
母の背負った借金の額は、相当なもので、結局最後に手元に残ったのは札が数枚と、
売っても値にならないと思われたらしい私の大学の書物。
それを入れるかばん、それに服が3着程度だった。
母の葬儀を上げる金も無く、大して知りもしない大人の手によって近くの共同墓地に埋葬された。
母が死んだと聞かされてから、埋葬のときにやっと顔を見ることが出来た。
私と同じ銀色の髪が、火の中に入っていく。
一人になってしまった…。
埋葬には、誰も来なかった。
国会議員だったのに、母は慕われてはいなかったのだろうか。
テレビも無く、ニュースは入ってこない。
世間に知らされていないのだろうか。
教会の神父が何か言っているが、耳に入ってこない。
私は一人教会を後にして、さまよい歩いた。
涙も出ない。

本が10冊以上入った重いかばんを持ち、イザークはこれから自分がどうするか考えた。
泊まるところが必要だが、金は少ししかない。
だが、ホームレスになるには、彼女は世間について何も知らなかった。
数時間自分の住んでいた町を歩いてみても、ただおおきな屋敷が並んでいるだけだった。
女が一人、これから暮らしていくにはどうしたらいいのだろう。
仕事を探すべきなのだろうか。
しかし、どこに行ったらいいのかもわからない。
やがて回りは暗くなり、10月に入ったこの時期の夜は冷えた。

歩き始めて2時間たったころから彼女は後ろに人の気配を感じはじめていた。
歩いていた場所は、彼女が住んでいた地区の中でも特に大きな屋敷が多く、静かな場所だった。
ここにはめったに歩いている人間はいない。
金持ちが多く、ここに住んでいる人間の移動方法は車だ。
イザークは怖くなって、少し急ぎ足で歩いた。
後ろの人物も付いてくる。
パタパタと数人の足音のようだ。
おかしいと思った彼女は走るスピードを上げたが、不意に長い髪を後ろから捕まれた。
「いたっ…」
引きちぎれんばかりに引っ張られて、涙目になる。
持っていたかばんが、ドサッと音を立てて道路に飛ぶ。
逃げようと思っても、髪を捕まれ体がよろめき道路に顔から倒れこむ。
もう一人の男に、圧し掛かられ、着ていたコートを脱がされそうになって、イザークは漸く事態が飲み込めた。
怖い!
こういうときに限って大声が出せない。
だが、コートのボタンが引きちぎられると、彼女は精一杯抵抗し、手足をバタつかせた。
あまりに暴れたせいか、彼女の衣服を脱がせようとしていた男が、イザークの頬を殴る。
「あぅっ!」
「暴れんなよ!そうすりゃやさしくしてやるからさぁ」
それでも彼女は抵抗をやめなかった。
頭が朦朧としだしても、必死にもがいた。
こんなところで…。
「いやだ!どいて」
「おい、口でも塞いでろ!うっせー集中できねぇ」
「わかった」
髪をつかんでいた男がイザークの口を手でふさごうとした瞬間、彼女に圧し掛かっていた男が横に吹っ飛んだ。

「俺の家の前で、下衆なことをするな」
男の声だった。
骨のきしむ音も聞えた。
上にいた男がいなくなり、口をふさごうとした男の一瞬の隙をついて、イザークは逃げる。
吹っ飛んだ男は起きる気配が無い。
誰が彼女を助けたのか。
もう一人の男も、何か言う前に、彼女に圧し掛かっていた男を吹っ飛ばした人間に蹴り飛ばされていた。
こちらもバキッという鈍い音がした。
イザークはあわててかばんを取ろうと立ち上がろうとしたが、腰が抜けて立ち上がれなかった。
二人の男をやっつけたであろう男が、ゆっくりイザークに近づいてきた。
暗くて顔がよく見えない。
男はかばんを持ち上げると、イザークの前に静に置いた。

何かするような気配はない。
助けてくれたのだ。
その事実にほっとしたイザークは、かばんを抱え、そのまま気を失い後ろに倒れそうになった。
「おい!」
男は急いで彼女を支える。
男はそのとき初めて彼女の顔をはっきり見た。

「…イザーク・ジュール?」
気を失った女性を置いておくわけにもいかず、かばんを腕にかけ、イザークを抱えると、
男は目の前の大きな屋敷に入っていった。



目を覚ますと、イザークはふかふかのベッドの上にいることに気がついた。
まだ重たいまぶたをこすり、体を起こすと腕に少し痛みが走る。
二人組みの男に襲われそうになって、転んだのだ。
思い出してしまい、イザークは自分を抱きしめた。
あの時助けられなかったら…。
そう思うと、怖くてたまらない。

少し落ち着いたところで、イザークは自分のいる場所を見渡した。
天蓋つきのかなり大きなベッドに彼女はいた。
自分の服を見たが、昨日家を追い出された時のままの白いワンピースだった。
ベッドから降りると、ベッドとソファーセットしかないというかなりシンプルなつくりだが、大きな部屋に自分がいることがわかった。
窓は出窓が2つと、バルコニーへ繋がる大きなものが1つあり、日がさしているのがわかる。
どうやら、もう昼間らしい。
イザークはかなりの時間眠っていたことになる。
時計を探すと、壁にこぢんまりとした壁掛け時計があり正午を少し回っていた。

一体誰が私をこんなところへ…やっぱり昨日助けてくれた人だろうか。

裸足で部屋の外へ出るわけにもいかず、ベッドの背もたれに寄りかかるように、上半身だけ起こして彼女は悩んだ。
その時、トントンと小さくノックをする音が聞え、返事を待たずにドアが開いた。
相手はどうやらイザークがまだ寝ていると思ったらしい。
入ってきたのは男だった。

彼女が起きていたことに、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐやさしく微笑んだ。
栗色の髪をしたやさしげな青年は、年はイザークと同じ頃のようにも見受けられれば、もっと幼くも感じられた。
「もう起きて大丈夫?」
青年は背もたれに寄りかかるイザークの前を、テーセットを持って通りすぎながら、ソファーセットのテーブルへとそれを置き、
イザークにスリッパを差し出した。
「これ履いて、こっちにどうぞ?一緒にお茶でも飲まない?」
イザークを、促し、男は自分もソファーに座る。
イザークは軽くうなずくと、用意してもらったスリッパを履いて、
自らソファーのほうへと歩き、座った。

「紅茶は好き?今日の紅茶はマティウス通りのメリーってお店のダージリンなんだけど…知ってる?」
青年はてきぱきと紅茶を入れつつ、説明をする。
ポットから微かに紅茶の香りがして、イザークはどうしてか苦しくなった。
「…私もそこの紅茶は好きだ」
ぽつっと言葉をこぼすと、青年は笑った。
どうやらイザークがしゃべったことが嬉しかったらしい。
「思ったとおり、綺麗な声。あ…僕キラ・ヤマト。キラって呼んで」
自己紹介の後、彼女は、「さあどうぞ」と紅茶を勧められた。
イザークは、マイセンだろうか…高そうなカップに入れられた紅茶に口を付ける。
「おいしい」
自然と口に出てしまった。

お腹が空いていたこともあるが、彼女は好んで紅茶を自分でも入れる。
が、それと同じかそれ以上に目の前の青年が入れた紅茶はおいしかった。
「よかった。ジュール嬢に喜んでもらえて」
「…な…名前、私の。知ってるのか」
「あ…うん。前に一度エザリア女史のパーティに家族で招かれたことがあって…
君とも会ってるんだけど…。覚えてない?僕ら大学も一緒なんだよ」
「そう…」
沈黙が…痛い。

母と親しいであろう人間は、もうきっと母が死んだことを知っているだろう。
母が死んでから、まだ1日しか経ってないが、そろそろニュースにも上ってくる頃だ。
イザークは紅茶のカップを置くと黙った。
ここには居たくない。
ギスギスした、雰囲気にキラが明るく話し出す。
「あー…ごめんね。なんか気に障るようなこと言った?僕、気が利かないってよく言われて」
それさえも、同情のように聞えるのは、どうしてか。
「いや…なんでもないんだ」
「うちの大家がキミを連れてきたときはびっくりしたよ。怪我してるし、気失ってるし…大変だったんだ」
「キラが助けてくれたんじゃないのか?」
てっきり彼が助けてくれたと思っていたイザークは驚いた。
「僕じゃなくて、ここの主人かな。僕は居候だから」
「…じゃあその人に一言お礼を…そうしたら私は出て行く」
「え!出てくって…どこ行くの?君はもう…」

帰る場所はないじゃない?といわれる前に、イザークはソファーから立った。
「…それ以上言わないでくれないか」
キラに背を向けると、いったんベッドの横に置いてあったカバンとコートを取り、ドアに向かって歩く。
もうお礼なんてどうでもよくなっていた。

惨めに心配されるより、どこか他のところへ行きたかった。
「ちょっと、イザーク!!どこ行く…」
「世話になった…靴は玄関だろう?」
彼女の手がドアノブにかかるより先に、ドアが開いた。
「お礼ぐらい言ってもいいんじゃないか」
入ってきたのは…。

「アスラン・ザラ…」




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