academy4


思いっきり殴ったのだけは覚えている。
意識ではなく、右手が。
不意にキスをされて、それが最初何かわからなくて、身体だけが勝手に動いていた。
勢いよく、その真剣に見つめてくる顔の左頬を自分右手で叩いた。
あいつは、逃げなかった。
殴られて、頬が真っ赤なのに、それでも私を見つめてきた。
その目が怖かった。
アスランじゃないと思った。
知らない男の目だった。

玄関から逃げ出すようにして、部屋に戻った。
きっと今なら新記録が出るんじゃないかと思うほどのスピードで。
息が、心臓が壊れそうで、それでも走って、部屋のある二階に上がった。

あんなこと、家族でもしない。
仮にも友達であったらなおさら。
唇を触れ合わせるなど。

自動で閉まる部屋のドアを早く閉めたくて、自分でも力を入れて閉めた。
そのドアに寄りかかるようにズルズルとしゃがみ込んで、顔を両手で覆う。
わけが判らない。
ぜんぜん、判らない。



あの日から、イザークは徹底的にアスランを避けた。
アスラン自身も、イザークに話かけたりすることはなくなった。
ディアッカ達も彼らの行動がおかしいと思ったけれど、関わると厄介なことになると思って、そのことについては触れなかった。
唯一ミゲルだけは、アスランに聞いたのだが、上手くかわされていた。
話をしなくても、関わらなくても、時間は過ぎる。
生活は出来ていく。
そんな感じで時間は流れ、8月に入った。
アカデミーの夏休みは遅く、8月の後半からだ。
その前に、試験があり、そしてその試験の前に、パーティがある。
これから社会に出るためのマナーを身につけるためのもの。
在校生全員が参加し、財界や政界からも多くの有名人が参加するダンスパーティ。

「イザーク、アスラン、ちょっと残ってくれ。後は解散」
いつものように訓練を終えて、ミゲルが解散の合図を出す。
今日も一日ハードだった。
もう終わりだろうと思い、さっさと帰ろうとしていたイザークが、ミゲルに呼ばれて眉を顰める。
アスランと一緒に呼ばれたからだ。
「先に帰ってるからな」
ディアッカに肩を叩かれて、イザークは渋々ミゲルのいる教壇の方へカバンを持って歩いていった。
アスランもニコルと何か会話をしてから、ミゲルの元へと向かった。

「これを渡したいだけだ…当日頼むな」
ミゲルから手渡されたのは、一枚のプリント。
「じゃあ、お前らも解散。わからないことがあったら、端末に連絡な」
それじゃあ〜とミゲルはいつもどおり調子よさげに教室を出て行った。
アスランとイザークもとりあえずプリントを持ち、イザークが先に教室を出た。

「パーティのか?」
イザークが歩きながら、プリントに目をやる。
イザーク・ジュール宛に書かれた物らしく、歩きながら読み勧めていくと、思いがけない一文に、イザークはカバンを落とした。
「…なんだと」
もう一度同じ行を読むが、間違ったことは書かれていない。
「…くそっ」
イザークはその紙を丸めて、廊下の脇に投げつけた。

プリントには、アスランとイザークがアカデミーを代表して、パーティ開会後すぐに、
一曲ワルツを踊るようにと命令が書かれていた。



ダンスパーティ前日の夜、イザークの元に母親から荷物が届いた。
『お誕生日おめでとう』
そう書かれたカードと、健康を気遣う手紙。
そして、パーティ用のドレスが一式入っていた。
「…はぁ」
母からの好意はありがたいが、ちっとも嬉しくない。
明日は天変地異でも起こらないか、熱が出ないか。
はたまた、学校が崩壊しないか。
そう思いながら、イザークは眠りについた。

朝から気分は最悪だった。
どう足掻いても、熱は出ないし、病気にならなかった。
こういうときは、コーディネーターは不便だ。
そして、天変地異はおこらず。
完璧に管理された、青空が広がっていた。
仕方なく、起きてシャワーを浴びる。
他の女生徒だったら、今日はきっと楽しみなのだろう。
女子は好きなドレスを着て、パーティに主席できる。
男子は全員タキシードで、胸にはリンドウの青い花を飾る習慣がある。
リンドウの花言葉は正義。
軍人であるという誇りを胸に掲げて社交の場に出るのだ。

髪をかわかして、バスローブで部屋のソファに座る。
何時までも、ここにいてもしょうがないので、仕方なくイザークはドレスに着替えることにした。
昨日は箱の蓋を開けただけだったので、中身がよくわからなかった。
イザークは、母が見繕った純白のドレスを取り出した。
「んなっ!!!」
こんなことなら、さっさと昨日のうちにドレスを出しておけばよかったと後悔した。
出てきたのは、ロングではなく、ミニスカートのドレス。
さらに気分は沈んだ。

「イザーク!いるんだろ出て来いよ〜」
もういまさら他のものを用意することはできないし、普段着としてフォーマルな物は持っていない。
イザークは諦めて、ドレスを着て、一緒に用意されていた靴を履き、小さなカバンを持った。
そこに、ラスティーらしい声が部屋の入り口から聞えた。
『なんだ』
物凄く不機嫌そうな声がインターフォン越しに聞えて、一瞬ラスティーはびっくりした。
「会場行く前に、化粧するから出ておいでよ」
「…いらん」
「いや、まずいでしょ!化粧は礼儀だよ、礼儀」
そこまで言われると、さすがに化粧をしないわけにはいかなくなる。
渋々と、イザークは荷物一式をもって、部屋から出た。



「綺麗じゃないの」
表情は最悪だが、衣装は最高だった。
イザークの細いながらも均整の取れた体似合ったドレス。
ミニスカートも嫌味はなく、細く長いイザークの足を上手い具合に映えさせている。
「…で?」
早くしろとでも言うように、イザークがラスティーに視線を投げかける。
「はいはい、下行ってやろうね」
ラスティーは色々な道具を一式もって、イザークと共に一階にある娯楽室へと向かった。

中には誰もおらず、部屋の奥にある二人掛けのテープルに座った。
ラスティーはテーブルの上に道具を出して、準備をしだした。
「これお前のなのか?」
男なのに、あまりにも多すぎる化粧品、それも女物にイザークが少々混乱する。
「姉貴がさぁ、好きで。自分でも、女の子の化粧するのが好きになっちゃったんだよね」
嬉しそうに、語るラスティー。
「じゃあ、始めるから」
そう言ってラスティーがイザークの化粧を始めた。

人に顔を触られるのは、くすぐったい。
下地を塗られ、ファンデを塗られ・・・。
自分ではまったく化粧をしないので、どういう風にやっているのかイザークはよくわからないが、
慣れてないイザークでもラスティーが上手いことが判る。
手際がとてもいいのだ。
あれこれいじられて、最後に口紅を塗られそうになった瞬間。
いきなりラスティーの指が唇に触れて、イザークがびっくりした。
「うわ、何!」
いきなり椅子ごと下がったイザークにラスティーもびっくりする。
「っなんでもない」
「…これで、化粧終わりだからさ…後は髪の毛まとめるだけだから」
優しく言われて、相手がアスランじゃないことを理解して。
イザークは目を閉じて、化粧が終わるのを待った。

「じゃあ、髪ね」
今度はラスティーがイザークの背後に回る。
櫛で丁寧にイザークの髪をあげる。
「これ…皆からの誕生日プレゼントな」
「…髪飾り?」
イザークの目の前に出されたのは、拳ほどの大きさのクラウン。
「ニコルとディアッカ、それを俺から」
「あ…ありがとう」
「これさ、ピアスもセットなんだ〜」
手渡されて、イザークがよくピアスを見る。
かなり高価な物なのだろう、よく光輝いている。
「後は自分でピアス付けて。俺もこれから着替えなきゃだし…会場でな」
ピアスに見とれている間に、髪のセットが終わったらしい。
テーブルの上を片付けながら、そういうラスティーに頷いて。
イザークは一足先に会場へと向かった。



会場は、アカデミーの大講堂。
椅子や机は取り払われて、丸テーブルがダンスをするスペースを囲むように並べられている。
まだ少々早いが、それでも学生は多く集まり、政府や財閥の要人も多く集まっていた。

イザークは会場に入る前に、一度保健室に寄った。
なれない靴で歩いていたら、かかとが当たって痛い。
絆創膏を貰おうと、立ち寄る。
独特の臭い。
「…どこだ?」
棚を探すが無い。
仕方なくソファに座って、靴を脱ぐ。
壁にかかっている時計を見ると、後1時間程度で式が始まる。
しかし、このままの足では上手く踊れないだろう。
「はぁ…何で無いんだ」

「足…痛めたの?」

ガラッと開いた保健室のドア。
そこに、黒いタキシードに身を包み、正義の花を胸に挿したアスランが立っていた。
「…」
イザークはどんな表情を作っていいのかわからなかった。
このところ一言も口を利いていなかったし、ましてあんなことをされて、どう接しろというのだ。

無言で、視線を戻したイザークをよそに、アスランは保健室の中に入ってきた。
そして、イザークが探していた棚とは別の棚の引き出しを開けて、
中から絆創膏を取り出した。
「ストッキングとか穿かなかったの…?」
「ぁ…あぁ…」
「はい」
絆創膏を手渡されて、イザークはそれを受け取った。
腫れてしまった、右のかかとにそれを貼って、又靴を履く。
大分楽だ。

「すまない…助かった」
「イザークだからだよ」
お礼を述べたイザークの言葉をさえぎるように、アスランが言う。
「イザークだから、助けたいし、イザークだから…」

「好きだから」



『好きだから』

どう反応したらいいのだろうか。
イザークは、頭の中がグルグルしていた。
真剣な声からも判る。
これは、ふざけているのではない。
友達同士の好きじゃない。

「好きだから、心配だし。好きだから、キスしたい、抱きしめたい…」
「…」
「この間は、無理やりして…悪かったと思ってる。でも、イザークも酷いよ。迷惑とか言うし…俺結構ショックだった」
「…ば……ぉ」
「?」

「ばかやろう!!!」

イザークの罵声が保健室に響いた。
イザークは、立ち上がって、アスランの胸倉を掴んだ。
「私だって、十分驚いた。考えすぎて、気がおかしくなるかと思った。早く言えよ!!」
「言っても、君は気付いてくれないと思ったから…鈍いし」
「鈍い?」
「テストに負けたら付き合ってくれっていったろ?今時、買い物なんていうのイザークだけだよ」
イザークとアスランは、勝ったほうが負けたほうの言うことを聞くという賭けを前回の試験前にしていた。
その時、アスランが勝ったので、『付き合ってほしい』と言ったのだが、イザークはその意味を勘違いして捉えていた。
「じゃあ…なんなんだ」
「彼女になってって意味。遠まわしに好きだって言ってたんだけど…判らなかった?」
「っ…」
イザークの力が抜けて、アスランの胸倉を掴んでいた手がスルリと落ちた。
「俺のこと考えたって…ホント」
「判らない」
「ゆっくりでいいんだ…お互いのこと、よく知らないし。でも…」

「ちょっとでも、気にしてくれるなら、異性としてみてくれるなら…代表で踊る時、これつけてきて」

アスランはポケットから小さな包みを取り出して、イザークに渡した。
「今日誕生日なんでしょ、おめでとう」
「あぁ…」
「すこしでも、気持ちがあるなら、つけてきて。じゃあ、先に行ってる」
アスランは包みを渡して、そのまま保健室を出て行った。

イザークは、貰った包みを開けて、中身を出した。



包みを開けて出てきたのは、親指の爪ぐらいの大きさの石がついたネックレスだった。
古い文献で見たことがある。
これは、お守りだ。
イザークの趣味を知って、買ってきてくれたのだろうか。

今一度よく考えてみる。
アスランにキスされて嫌だったか。
それは、びっくりしただけだ。
アイツが嫌いか。
前は嫌いだったが、今では…どうだろう。
自分は、アスランのことをどう思っているのだろうか。
自分は…
「私は」

「遅いぞイザーク!!」
会場の入り口では、会場係のミゲルがイザークの到着を待っていた。
彼女が来て、安心した顔をしている。
「すまな…っ、すみません」
敬語ではなくて良いといわれたものの、此処は他の講師も集まる場。
イザークは咄嗟に言い換えた。
「どこ行ってた?そんなにアスランと踊るのが嫌なのか?それとも、踊れないのか?心配して…」
「失礼な…踊れます。アスランは…別に」
「だったら早く入ってくれ、もう式始まってるんだから」
せかされて、イザークは会場に入った。
中では、すでに学校長の挨拶は終わり、来賓が挨拶をしていた。
イザークが中に歩いていくと、来賓の挨拶も終わってしまい、学生がわらわらとホールからはずれた。
いよいよダンスパーティの始まりだ。

ホールの奥には管弦楽団が待機をしている。
代表が来るのを待っているのだ。
アスランが、イザークのいるところとは逆の位置から、ホール中央に出てくる。
背筋を伸ばして、出てくるその姿は、凛々しい。
下がった生徒の中からも、『かっこいい』との声があがる。
イザークも慌てて、ホールの中央に出た。
背筋を伸ばして、優雅に歩く姿は、どこかの国の姫のような。
そんな二人の姿に、ところどころからため息が疲れた。

お互いにゆっくりと近づく。
アスランは、途中でいきなり止まった。
イザークの胸元に見つけたからだ。
自分が贈ったネックレスを。



ダンスパーティは何事もなく終わった。
特に、アスランとイザークのワルツは大盛況だった。
優雅に踊る二人の姿は、政界の人間達にも気に入られ、もう一曲とアンコールまで出た。
二人はそれに笑顔で答え、もう一曲踊った。

それをディアッカやニコル、ラスティーはずっと見守っていた。
この3人はずっと二人のことを心配していた。
明らかに二人で買い物に出かけた後、雰囲気がおかしくなった。
多分何かあったとわかるのだが、かき混ぜるとややこしいことになる。
かまいたい気持ちを抑えて、ずっと見守っていたのだ。
嫌々踊っているようには感じられない。
3人はほっと胸をなでおろした。

深刻だった。
今まで感じたことが無い、もやもやしたものに、支配され続けていた。
経験が無いものに対しては、最初どういう風に対処していいのか迷う。
でも、ちょっと落ち着いた。
自分の気持ちを整理してみようという気になった。
一から整えてみようと思う。

そして。
向き合ってみようと思う。
真剣なあの目から、逃げないように。

パーティが終わった後、アスランはイザークを連れて、アカデミーの裏庭に来た。
「俺のいいように解釈してもいいの」
「あぁ」
「ありがとう…これ、無駄にならないですんだよ」
「?」

アスランはイザークの右手を手にとって、その薬指に指輪を入れた。
「いつか、左にしてね。こっちが本当の誕生日プレゼントなんだ」
シンプルなシルバーのリング。

「お前の頑張り次第だな」
イザークがニヤリと笑った。
アスランもそれにつられて笑う。

「ご期待に添えるように…頑張るよ」



  
次へ進む